わたし

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わたし

 夜明け前に歌いだす鳥が、今日は鳴かない。そんな些細なことで目が覚めた。  今日の天気は晴れ。プエブロ族の古老が語った「死ぬにはもってこいの日だ」の言葉を反芻する。死に関する言葉なら私は二つ程知っている。カルペ・ディエム。メメント・モリ。この二つは死刑局の掟でもある。  わたしは死刑局の職員として実に四十二年間勤めてきた。面白いことなど何一つない、実に単調な仕事であったが、それでも若き頃は何度か葛藤していた時期がある。  死刑局の業務は生産性のない人間。例えば資産の少ない老人や身体、精神、知的障害を持つ者などへ死刑を執行する旨の手紙を手渡しするのが主な業務だ。他にも死刑執行者に対するアフターケアや死刑者の選定。暴れ出す者に対して監視を行い、逃亡しようものならその場で射殺することで強引に「執行」するという役目もある。  早朝の報道番組では、早速海外へ逃げようとする独居老人を射殺したという後味の悪いものから始まった。  今から五十年ほど前、死刑法なるものが施行され、同時に法務省内に死刑局というのが創設された。そのおかげか、この国は高齢化が止まり、少子化が減少していった。現在では石を投げたら子供に当たるというぐらいまで増えている。経済も安定化し、見せかけの平和がやってきたのだ。  もちろん、死刑法に反対する人間もいた。だが、そのような人は当然見せしめのように国が鎮圧にあたった。その結果、人々は国を恐れ、物言わぬ羊になった。  実際に死刑法による経済効果が出て、若き人々は子を作り、育て、社会を形成していった。本当の平和が到来した。もちろん、いくつかの例外は除いてだ。  ソファで寝転がりながら新聞を読む。紙面は良いことばかりが書かれている。良いことだと思いながらわたしは朝の出来事を思い起こす。  出窓に陽光が差している。上を見れば鮮やかな青色だ。空には雲一つない。  テレビは海外の死刑法についてのトーク番組が流れている。通訳の女性の声が討論者の発言を同時通訳して話してくれている。  この青空と討論番組の組み合わせは、昔出会った青年の顔がはっきり像を作る。  彼は中程度のうつ傾向を患った所謂精神疾患のある若者だった。何度か自殺未遂をしたが死にきれず、死刑法が施行されたときは彼だけが喜び、彼の両親は氷水にいきなり突き落とされたかのように顔が引き攣っていたという。  わたしは制服と制帽を被り、車で彼の家へ向かった。呼び鈴を鳴らすと、彼が顔を出した。 「法務省死刑局の者です」  わたしは玄関先で手短に説明をする。青年は深々と礼をした。 「ありがとうございます」  わたしは一瞬、言っていることがわからず聞き返した。 「僕を殺してくれてありがとうございます」  彼は笑みを浮かべていた。玄関先には一枚の絵が飾られている。二畳もないほどの小さな部屋に青年が蹲り、虚ろな目をしながらこちらを俯瞰するかのように見ている。 「君が描いたのかい」 「ええ」 「凄いなあ。画家になればいいのに」  彼は少し笑ってから、「来世ではそうします」と言った。  あの時の彼の笑顔は忘れられない。今でも生きていたら、きっと世界を騒がせた画家になっていただろう。掛け値なしに素晴らしい絵であった。  実を言うと、わたしも死にたがっていた人間の一人だった。社会に受け入れられず、高校時代から敢然と静かなる死を迎えたがっていた人物の一人だった。青年はそんな疑問を薙ぎ払ってくれた恩人だった。  彼の死刑が執行されてしばらく経った後、私のもとに一通の手紙が届いた。彼からだった。 「僕の絵を気に入ってくれてありがとうございました。あなたに差し上げます」  その一文だけが書かれた手紙を受け取った翌日、宅急便が来た。中には彼の絵が厳重に梱包されている。  その絵を居間のよく見える位置に飾ると、幼い息子が、「いい絵だね」と言っていた。その息子ももう定年まであと三年。わたしと同じ死刑局に勤めている。  玄関の呼び鈴が鳴った。わたしは絵をちらを見てから玄関の方へ歩みを進めていく。
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