私 その2

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私 その2

 父とラーメン屋に行くのは珍しいことではなかった。子供のころからよく父とはこのラーメン屋に行き、私は炒飯。父は塩ラーメンを注文する。二人して黙々と食べ、会計を済ませ帰るが、私にとってみれば父との交流の場としてここを利用する。  ここの店主も数年前に高齢を理由に死刑執行され、今は店主の息子が料理を提供している。  今日の父は饒舌とまではいかないがよく喋る方だった。きっと死刑執行を前に喋りたいことがあるのだろう。そう思って私は「いつものところに行かないか」と提案したのだった。  父は塩ラーメンを啜りながら言った。 「お前がまだ小さかった頃、居間の絵を一目見て『良い絵だ』と言ってくれたのを覚えているよ」  私は既に食べ終わった炒飯の皿と父の顔を交互に見ながら頷いた。 「あの絵を描いた人はな、わたしが手掛けた最初の一人だった。今でも後悔している。生きていれば偉大な画家になっていたことだろう」 「精神疾患だったんだろう」 「まあな。だが、あの絵を描ける人は向こう二百年出てこないだろう」  私は店員を呼び、水を欲しいと言った。店員は私のコップを持ち、カウンターの端に置かれているウォーターサーバーに水を入れ、また持ってくる。 「今更怖くなったとかじゃないだろう」 「そうじゃない。歳を取ると、昔話をしたがるんだ」 「聞いてやるよ」  私は水を飲む。 「わたしの家に植えてあるイチイの木を知っているか」  父はそう言って語り出した。私の実家の庭にあるイチイの木には不思議な言い伝えがある。イブキの木やモミジの木などと並んでちんまりと置いてあるイチイの木に止まる鳥は絶対に鳴かないのだという。モミジに止まるスズメやカラスが頻繁に鳴くのに対して、イチイの木には鳥が止まることはあっても、まるで人生を達観したかのように庭をぐるりと見渡して、やがて翼を広げて大空に飛翔していく。  それはまるで死の直前に見る絶景をこの目で見てから最後の飛行に飛び立つ兵士のような心境なのだろうと父は雄弁に語った。 「イチイの木の実には毒があるというのをあの青年から聞いたよ」 「初耳だ」 「青年は言っていた。『僕が死んだら、庭にイチイの苗木を植えてほしい』家族にもそう伝えていた。英国では墓地に植えられている木だというしな。あの木を見るたびにわたしは青年を思い浮かべるよ」  私は父の思い出話をそれほど真剣には聞いていなかった。死刑執行人として生きる以上、情などに流されているようでは真の死刑執行人ではない。しかし、父はこの地区の所長を務めて定年を迎え、今はこうして私と話をしている。父と私の差は一体何か。そう考えれば考えるほど、心が冷え込むように寒い。 「便箋で手紙を書きたいのだが、それは構わないのか」 「ああ、問題ない」 「そうか」  父はよろよろと立ち上がり、ゆっくり歩きだした。  会計を済ませ、父の家に着くころ、父はこう言った。 「お前の家の庭に、イチイの木を植えられる場所はあるか」 「あるさ」 「遺産としてお前にやる。お前は昔から無愛想だったからな。残り少ない財産は国に寄付するよ」  父はそう言って、ゆっくりとした動作で終の棲家に戻っていく。  父の死刑が執行され、亡骸は火葬された。  忌引の後、私はいつものように出勤した。自身の席に座るとそこに一通の便箋と、課長の達筆な字で「遺言として渡すように言われました」とメモ書きがある。  父がこうして手紙をしたためるなど珍しい。それほど死刑が怖かったのだろう。誰かに自らが生きていることを証明したかったのだろう。不憫でならないが、それもまた運命だ。  定時で帰り、父の実家から家の庭に運ばれたイチイの木を眺めながら、私は手紙を読み始めた。
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