九※R18

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 息が落ち着いたふたりは並んで掛布に潜り、ぴったりと寄り添っていた。柔らかく微笑むリュシアンの腕に頭を乗せた蘭珠は、瞼をとろりと重たくさせて、今にも寝入ってしまいそうである。 「ランジュ」 「……んん」  声をかければ、身じろいで、より体を寄せてくる。その様がいじらしくて、リュシアンの笑みは一層深くなる。肌寒い冷気から蘭珠を守るように、掛布を肩まで引き上げてすっぽりと(くる)んだ。 「ランジュはこれから、どうしたい。今や私は自由の身。領地は既になくなっているだろうが、貴族の称号までは奪われていまい。街へゆけばある程度のものは思いのままぞ」  これからか、と蘭珠は嘆息した。リュシアンの呪いのことで頭がいっぱいで、自分のことなど考えている余裕がなかった。何をしたいか。何をなすべきか。  思い浮かぶことが、ひとつだけあった。ぼんやりと夢心地のまま、蘭珠は訥々と語り出す。 「おれは……祖国にいた頃は、才をひけらかすことばかりに執着していた。己の優れていることを示すために他者の愚を貶し、他者に付け入られることがあってはならないと、体面を保つため必死に学んだ」  しかし、と息を吐く。こんな風に己の心情を言葉にしたことなど、これまでなかった。リュシアンの前だと蘭珠はどこまでも素直になれる。きっと彼が、幾重にも覆われた殻をひとつずつ剥がしてくれたのだ。蘭珠は天蓋の裏に描かれた牡丹の図柄を見上げ、穏やかに微笑んだ。 「思えばおれは、純粋に学問が好きなのだ。誰にひけらかさずとも、ただただ知識欲を満たし、書に耽るのが好きなのだ。特に歴史や思想が好きだ。この国の歴史はわが国よりも浅いが、周辺との関係が複雑で非常に興味深い。――そうだな、俺は学者になりたい。学問が政治の道具でしかないわが祖国ではなく、貴殿の生まれ育った、この西の国で」  この館の書庫で書物に埋もれているとき、蘭珠は幼い頃の純情さを確かに感じていた。何に役立つとかは関係ない、ただ書を読むことが楽しい。そんな風に思えたのは、祖国を離れたからだ。役人という肩書や立身という重荷を棄てたからだ。この屋敷で温かい人たちに触れ、リュシアンという人に出会い、彼に鎧を剥がされたからだ。  琥珀色の瞳をキラキラと輝かせて夢を語る蘭珠を、リュシアンは微笑んで見守っていた。本当の蘭珠ははこんなにも純粋で、あどけなくて、美しい。 「そうか。では私はそなたを支えよう。大きな街へ往けばそういった道もあろう」 「……共に来てくれるのか?」 「ああ、当然だ。これからずっと、一緒だ」  見つめ合い、自然と唇が重なり合う。  蘭珠はずっと孤高(ひとり)だった。周囲に人は在れど、己と釣り合わぬ愚物と見下し遠ざけてきた。その結果疎まれ、憎まれ、いつもひとりだった。そんな蘭珠の傍らに、リュシアンはこれからずっと寄り添ってくれるというのだ。こんな日が来るなんて思いもしなかった。懲りずに込み上げてくるものを、大きく息を吸ってやり過ごした。 「この館の整理がついたら、アドルフにでも頼んで私たちが暮らせる街を見つけよう。そうだな、学者になるなら大きい街のほうが良いが、緑が近いところだと私は嬉しい」  そんな風に、一緒に夢を語ってくれる。蘭珠の胸は、禍福としか言いようのないもので満たされていた。しかし、ふ、と苦しいものがよぎる瞬間もある。
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