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 月が(あか)い。否、もしかしたら自分の瞳が紅いのかもしれない。  冷ややかな光を放つ下弦の月の下、蘭珠(ランジュ)は山林を駆けていた。(くつ)を履かない足許では霜で硬くなった下草が軋み、前方から吹き付ける風は頬を切り裂くかのように冷たい。息が苦しくて悪心(おしん)すら覚えるが、それでも足は止まらない。  前へ、前へ。背後に置いてきた全てのものを振り切るように蘭珠は走り続けた。梢が手の甲を切り裂いても、辛うじて肩に纏わりついていた頭衣がずり落ちても、一切気に懸けていられない。長く膨らみのある袖と裾が鬱陶しい。何度も躓きそうになりながら、風を切って走り続けた。  寒い。痛い。苦しい。つらい。なぜ自分がこんな思いをしなければならないのかと、理不尽に対する憤りで胸が灼けそうだった。獣のようにグウウと喉の奥で呻く。  なぜ。なぜ。思考は次々と剥がれ落ちてゆき、やがてその二文字だけが繰り返し浮かぶ。答えが欲しくて紅い月を見上げる。ここに至るまでの出来事が泡沫のように浮かんでは消えた。
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