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文化祭明けの教室に担任教師の声だけが流れ続けていた。
そこには祭りの後の心地よい虚脱も、再び退屈な日常を受け入れる冷めた諦めもなかった。
クラスの誰もが不安そうな顔で教師の話に聞き入るなんて、カンニングが見つかった愚か者に仲間がいて、学校側は全てを把握しているんだぞと、かまをかけられたとき以来なかったことだ。でも今回はカンニングの話どころじゃない。小さな田舎町の日常が見事に吹き飛んだのだ。だって高校に進学してからも、あたしをずっとイジメ続けてきた氷室冴子が昨夜、発狂して自殺未遂を起こしたのだから。
「ところで窪塚」教師に名指されたもう一人のイジメっ子が、はいと返事をして顔を上げた。「お前、氷室と仲が良かったから心配だろうが、容態がわからんから見舞いは控えてくれよ。特に昨日からネットで変な噂もたってるしな」
「わかりました……」
ざわつく教室内で窪塚晴美は声を落として、こっちに視線を向けた。
なんて顔してんだろ、晴美。そんな目で見ても駄目だよ。
思わず笑いが漏れそうになるのを、あたしは必死にこらえた。
*
一時間目を使った臨時ホームルームが終わると、クラスの皆は黙って帰り支度を始めた。あたしの方にチラッと顔を向ける者もいたが、すぐに目を逸らせて退出していく。何人かは冴子や晴美と同罪だ。さぁ、どんな目に遭わせてやろうか。力を得た今は怖いものなど何もない。誰もいなくなった教室で、生殺与奪を欲しいままにする王侯貴族の優越感にも似た心持さえ抱ける自分に、あたしは酔い痴れた。
「ちょっと、あなた」
「あっ、はい……」
現実に引き戻す声に顔を向けると教室の入り口に保健室の女性教師がいた。恋愛相談だけでなく、都会にあるショップの話や占いもしてくれる人気の先生だ。
「あたしですか?」
「『あたし』…… えぇ、そうよ」
「どうしたんですか?」
一瞬、口ごもった女性教師は何事もなかったかのように、にこやかに微笑んだ。
「いいえ、なんでもないわ。それより、保健室で少し話せるかしら?」
*
全校生徒が下校した学校は午後からの保護者向け臨時説明会を待つ間、ただただ閑散としていた。時より吹く秋風の音に混じってカラスの鳴き声が聞こえてくる。
保健室に着くと、話をしたいと呼び出しておいたくせに女性教師はラップトップのパソコンが置いてあるデスクに座り、黙ってあたしを見つめ続けるだけだった。あたしは沈黙に耐えかねて、ついに口を開いた。
「ところで、なんの話なんですか?」
「あなたに少し聞きたいことがあったのよ」
口を開いた女性教師はデスクの鍵を開けると、中から古い布にくるまれた黄ばんだ表紙の古書籍を取り出した。赤黒い毛筆で書かれた表紙の文字は根黒之御魂と読めた。
「あなた、これが本当は何だか知ってるの?」
「それは……」
先週、裏庭の納屋で見つけた曾お爺さんの古書籍だ。
「これは八世紀に中東で著された“死霊秘法”とも呼ばれる禁断の魔導書よ。正確には、その三章と六章。そして十二章の写本部分を翻訳した貴重なモノ。抜粋も含めて世界に現存するのは数冊と伝えられているわ。当初は欧州版に翻訳されたものばかりだと考えられてたんだけど、私たち星の智慧派教会は、東洋、特に日本に持ち込まれて研究されたモノもあると考えて探していたけど、今まで発見できなかったの。でも、こうしてやっと見つけることができた、あなたの部屋でね」
あたしは力の源を見つけられたことより、部屋に無断で入られたことに怒りを覚えたが、目の前の女性教師が、なぜそんな話をするのかと訝った。この本の力は強大だけど、冴子を破滅させた証拠として警察に持っていくことはできないはずだ。もしそんなことをしても一笑に付されるだけでなく、自身が精神を病んでいると疑われるだけだ。でも、あたしも知らなかったこの本の出自まで知悉しているというのは……。
「心配しなくても大丈夫よ」あたしの疑念を察したのか、女性教師は安心させるように軽く笑い声を立てた。「私たちはあなたを、どうこうしようなんて考えてないから。それより、もっと重要なお願いがあるの」
「先生の言いたいことはわかってます。あたしも先生のように星の何とかっていう教会に入れってことでしょ?」
「いいえ、違うわ」
強大な力を立証したあたしを破滅もさせないとしたら、仲間にするとしか考えられなかったので、女性教師の言葉に、あたしは正直戸惑った。
「じゃぁ、何を?……」
「手紙を渡してほしいのよ」
「手紙って、なんのことですか?」
「シラを切ってもわかってるのよ。まだ投函してないものを持ってるでしょ。ことによると何通か。あの本に書かれている内容は、しっかりと制御しなければたいへんなことになるの。だから、未投函の手紙を渡してほしいの。あの本の内容……特に禁断の呪文を書き写した手紙をね」
この女性教師は、あたしのしたことを、どこまで知っているんだろう。深まる疑念は口をますます重くさせた。
「いいわ。じゃぁ、私たち教会が出した推論を聞かせてあげる」女性教師は話しはじめた。「先週、立て続けに起こった男性テレビキャスターと野党の女性党首の怪死事件は、あなたの仕業ね。厳重な報道管制がかかっていても私たちの仲間は政府にも数多くいるわ。だから、お調子者の関西人気取りのキャスターがタワーマンションの密室で一夜にしてブクブクに膨れ上がった水死体になっていたことも知ってるし、執務室の中で絞ったボロ雑巾のような状態で身体中の体液を失った女性党首の本当の死因もわかってる。当初は、私たちと敵対している勢力が起こした事件かとも心配したわ。おかげで教会は最上級の警戒態勢を敷くことになった。でも、氷室冴子の不可解な発狂を知ったとき、私は教会の考えが間違っているんじゃないかと直感したの。そして、さっき教室で、あなたを見た瞬間に確信したわ。一連の怪死事件は敵対勢力の攻撃ではなく、同級生を破滅させるために行った高校生の単なる予行演習だったっんだってね」
女性教師はメガネを外すと机に両肘をつくと、組んだ両手にあごを乗せた。
「どう。この推論はあながち間違ってはないでしょ、勝俣貴一君」
*
いつの間にか、カラスの耳障りな鳴き声もしなくなっていた。
女性教師は理科準備室でくすねた薬品を調合して作った召喚薬液の小瓶も回収していたらしく、ポケットから取り出すと机の上にポンと置いた。あたしは穴の開くほど、彼女の顔を見つめ続けた。
「ほんと感心したわ。召喚薬液を染みこませた手紙に呪文を書いたファンレターとは。いろいろ考えてみると、面白いわね。あのキャスターも女党首も声に出して呪文を読んだってことでしょ。どうやって声に出させて読ませたのかしら。『これは幸せになる呪文です』とでも? 警察にいる仲間の鑑識課員は呪文を読ませるための工夫に何が書かれていたかは教えてくれなかった。でも、今となっては、どうでもいいわ、そんなこと」
女性教師は生徒の個人健康帳がズラリとならんでいる棚まで行くと一冊の健康帳を取り上げ、おもむろに広げた。
「当たりね」
薄い封筒が健康帳の間から滑り落ちた。あたしは健康帳に挟んでいた手紙が見つかったことより、開かれたページに目が釘付けになった。手帳にはクラスと担任名、緊急連絡先の他に、はにかんだような顔をしたポニーテール姿のあたしの顔写真があった。でも何だか変だ。いったい何が変なんだろう……勝俣貴一って誰なんだろ。考えているうちにキリキリ頭が痛んできた。
「あなたが手紙を挟んだ、この健康帳の持ち主は加藤美咲さん。氷室冴子や窪塚晴美のイジメにあって文化祭前から、ずっと欠席してるわ」
「文化祭前から?……だって、あたしは今ここに……」
「クラスでイジメられてる美咲さんをクラスメイトは見ていたわよね、勿論あなたも。でも、あなたは友情や恋愛感情から彼女を助けようなんて思ってなかった。だって彼女はとても敏感な娘だったから、少しでも想いを寄せてくれるクラスメイトがいれば、私には必ずわかったはずなんだから。あぁ、私は“見える人”なのよ。だから青少年の心の襞なんてものも隠しようがない。そういうのも見えちゃうのよ」
女性教師は、あたしの前でデスクの上の手紙を人差し指でトントン叩いた。
「あなたは力を試してみたかっただけ。力が立証されたら、もっと使ってみたくなった。でも何に使えばいい? それが、わからない。で、いろいろ考えた。その時、たまたまイジメられてた同級生のことを思い出した。イジメっ子をやっつけるのは正義だと自己正当化もしやすい。被害者の代わりに自分が神の鉄槌を下すんだって思うと気持ちもいいものね。だから美咲さんの健康帳に手紙を隠した……というより挟んだ。もし彼女が発見しても何の事だかわからない手紙にドギマギするだけだろうし、その姿を想像すると面白さだってある。そんな気持ちもあったんじゃない? でもね、勝俣君。それじゃ、ただの変態。だいたい、あなたは自己陶酔しすぎなのよ。だから最期の瞬間、美咲さんのことを夢想してたんじゃない。たとえば涙ながらに正義の呪術師に感謝する美咲さんの姿を? だから、その想念だけが、ここに残っちゃったのよ」
「変なこといわないで! ふざけてるんなら、もう帰ります!」
「じゃぁ、鏡を見てごらん」
女教師が顎で示した保健室の大きな姿見に自身の姿を映した時、あたしは……いや、ぼくは全てを思い出した。室内の備品の他は何も映っていない姿見を見た時に。
*
「“死霊秘法”を著したアブドゥル・アルハザードがどうなったか、あなたが知ってれば、むやみに書かれている秘術を使おうとは思わなかったかも知れないわね」
女性教師はラップトップのパソコン画面を僕の方へ向け、2日前に投稿された動画を再生して見せた。
動画は都市部の昼の繁華街を映していた。突然上がった、いくつもの悲鳴。カメラが向けられると、目に見えない何かに持ち上げられ、振り回されるものが見えた。まるで壊れた人形のようだが、苦痛と恐怖を含んだ悲鳴が途切れることなく流れ出ているところから辛うじて人体だとわかる。やがて人体は真っ二つに引きちぎられ、腕、脚、そして胴と目に見えない巨獣に噛み砕かれ、呑みこまれるように次々と何もない空間へ消え失せていった。そして路面にごろりと転がった頭がカメラに向いた。その顔は、ぼく……勝俣貴一……だが、それもすぐに消え失せた。血の一滴すら残さずに。
「神社のお守りだって、いろいろな所のものを一緒に持ってちゃいけないって昔から言われてるでしょ。あれには意味があるのよ。だって神様だって嫉妬や仲違いもするし、反りの合わないもの同士もいる。ましてや、あなたが犠牲者たちに召喚させた“外なる邪神”もさまざまな属性を持ってるのよ。一人の召喚者に一緒くたに呼び出されれば怒り狂いもするわ」
呆然とパソコン画面に見入っている、ぼくに女性教師は手紙をつまみ上げた。
「さて、とても残念でしょうけど、この手紙は処分するわね。そろそろ時間だし」
女性教師が手紙を破り捨てたと同時に閉め切られた保健室に小さな旋風が巻き起こった。それは徐々に強さと大きさを増して保健室の一角を包み込んだかと思うと、現世に残った、ぼくの想念という魂の欠片を絡め取ってバラバラに引き裂き、再び混沌へと還っていった。
*
“見える”女性教師は中二病の召喚者の魂が消え去ると、机上の根黒之御魂に暫く手を這わせたが、やがて「私は中二病じゃないから」とつぶやくと、散らかった保健室の一角を、どう片付けようかと頭を悩ませた。
秋風が強まる外では再びカラスが鳴きはじめた。
了
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