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1 愛ある天秤
1 愛ある天秤
「喰わせるもんか!」
俺はブリッジし、長い竿竹をヘソの上に乗せ、ヤジロベエに負けじとバランスをとっている。
吊るされているのは洗濯物じゃない。竿の両端から提げられた皿の上では、ヒヨコが一羽ずつ暢気に鳴く。
俺とヒヨコの周囲、低い地面には、無数の穴が空いていて、上向きで開いた鰐の口が、微動だにせず待ち構えている。
耐えろ、外石!
ヒヨコを餌にさせないでえ!
観客席が試合序盤から騒々しい。
ただし鰐は模型だ。
「こんなイベント考えやがって。印象の悪さだけでも動物愛護団体が黙ってねえぞ」
鰐に喰われなくても、皿からどっちか一羽でも落ちれば失敗判定だ。
「爬虫類の模型いらねえじゃん」
面白がる男の客と本当に嘆く女の客の声は、声援ではない。
俺にはプロ双六選手・通称スゴロッカーの意地があるので、地力で耐えてみせるが、あとで運営側に文句をかましてやる。
「襄君、もっと集中して」
「指導すんな。黙って見てろ。転坊」
満員のコロシアムで、俺は二マス先にいるこの男との、シーズン最終決戦を望み続けてきた。
台須転坊、姓名からしてスゴロッカーを宿命づけられている二世選手だ。五年連続優勝中、現役最強ランキング一位、最高年棒獲得者、当然人気投票でも一位。
俺の視界は天地が逆さなので、一度も勝てたためしのない奴は下にいるが、慰みはいらない。
今年こそ、この悪魔的に強い王者を倒し、俺が優勝する。サイコロ王の称号を戴くんだ!
——外石襄選手、あと十五秒耐えられるか?
「実況うるせい。ヘソに乗せんのは茶でもよかったんだよ。鰐さん腹空かせてんだろ? 悪いな。女性ファンもうるせいんで」
台須がうっすら笑みになる。逆さだと狂気染みて見えた。
「今助けても、あとで塩胡椒をふって食べさせるでしょう」
「模型だっつうの。おちょくんな」
ブリッジを作る俺の手足が、左右の均衡を崩した。竿竹が右にずれ、傾く。
「てめえが余計なこと言うから」
「襄君、あいかわらず口が悪いですね。僕は二つ年上の先輩ですよ」
「試合中は関係ねえだろうが」
右の皿のちょこまか歩くヒヨコが、縁から溢れ落ちそうだ。会場の悲鳴が増して轟くなか、俺は高速で腰を右側へ五センチほどずらした。
竿竹が水平に戻っていく。右側のヒヨコが皿の真ん中まで素直に滑ったので、腰の位置を微妙に左にずらしてバランスをとる。
「そうなるか、おい」
今度は左側のヒヨコが皿の縁ぎりぎりに足をかけた。
「ランキング三位にゃあ難易度高くねえんだよ!」
俺は腰を小幅な縦揺れにし、竿竹を震動させた。紙相撲の要領であんよの小さなヒヨコにダンスをさせ、自由を奪う。さらに、真ん中に戻れ、と念じる。全身の細胞に対する意識の働きかけは、プロ技術の一つだ。俺はヒヨコにまで神経と血管を伸ばす。
二羽の黄色い雛鳥が皿中央に納まった。
——残り五秒!
四、三、二、一、ゼロ!
六万人の合唱が歓声に変わった。仕事を終えた鰐が丁寧に口を閉じ、地面に沈みこむ。
——外石選手、〈愛ある天秤〉を攻略しました。クリアポイント五得点獲得です。
「名称からしてひでえ。初イベントが没イベントだな」
俺は安堵でブリッジを崩す。大会役員たちが素早く寄り、竿竹とヒヨコを回収した。
「立派な鶏になれよ」
「鶏の宿命は知っているでしょう。あなたはお腹の中に語りかけるのですか」
台須は薄らな笑みのままだ。天地が正常化しても、奴への印象は変わらなかった。
「マジむかつく」
「なんにせよ、ポイントを獲得できてよかったですね」
ただでさえランキング下位は後攻なのに、失敗なら一回休みでゼロだった。このポイント数は中盤以降に利いてくる。
「あったりめえだ。余裕なんだよ」
威勢を張ったが、のっけの一振りが今のイベントじゃ幸先が悪い。サイコロの目が、いきなり失投で二だったのが祟った形だ。
デビュー二年目から五年間無敗の帝王・台須との闘いは、熾烈を極める。最初はできるだけリードしたいのに、緊張があったようだ。
「とっととサイコロふりやがれ」
「言われずとも」
サイコロの目と違って横長の目と、縦長の鼻がくっきりとした奴が、肩にかかる長髪を手で靡かせ、薄い唇で微かに笑った。上空の大画面オーロラビジョンに映るその仕種に、女性ファンの桃色の声援が巻き上がる。
「性格どぎついのによう、まさしくアイドルだな」
対して俺は、逆さでなくても目尻が吊り上がり、鼻と顎は尖り、短髪の剛毛は寝かせてもすぐに尖り、悪役の風貌なのは否めない。
「咬みつける男がいねえとな。敵役には上等だろ」
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