1 愛ある天秤

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 サッカーができるほどの広さに、張り巡らされた双六フィールド。まだ出発したばかりの地点で、サイコロボーイが平たい容器に複数のサイコロを乗せ、台須に走り寄った。  少年は無駄のない規律ある動きに徹している。俺もかつて、その先にプロがあると信じ、サイコロ渡しの練習を繰り返した一人だ。最も間近で試合を観られる絶好機なのだから。  思春期をすぎれば髭は自然に生えだすが、プロは挫けぬ意志の賜物だ。この少年も、大人に成るのとスゴロッカーに成るのは同義のはず。  いい瞳をしている。がんばれ。  そんな少年に、台須は表情なく関心を見せず、サイコロに手を伸ばす。  奴の人間性の問題ではない。規定だ。  サイコロボーイはロボットの立場であり、選手とサイコロボーイの会話は厳禁なのだ。少年は興奮を表現したいだろう。俺がそうだったが、想いは胸の奥に押しこめ、健気に堪えた。希望と憧憬を抱く道のりを経てプロになり、最高峰まで登り詰めた。    言葉を交わさずとも、俺たちスゴロッカーは麓にいる少年たちへ、さすがの勇姿を見せて上げなければならない。  ——あっと台須選手、またもやルービックキューブ・サイコロを選んだ! 「野郎、初っ端から連発しやがる」  通常のサイコロ以外にも選択肢がある。その一つがルービックキューブ・サイコロだ。言わずもがな六面全て九分割されている。一ならば、九分割の真ん中に赤丸が印される。二なら右上と左下に黒丸、三なら加えて真ん中に丸。四は四隅に丸、五なら加えて真ん中にも。六ならば両側に三個ずつの丸、という具合になっている。  丸印がでたらめに配置されたルービックキョーブを構える台須が、呼吸を整え、肩の力を抜いた。  奴が頷くとブザーが鳴り、電光掲示板の数字が走りだす。  ——制限時間は八秒、続けてスリーセブンが出るか?  台須は滑らかな手捌きで、立方体を球体のごとく扱う。七・一二秒の時点でルービックキューブ・サイコロを高々と掲げた。  サイコロの丸印は全部で二十一個。それを組み替えることで、三個と四個を三面ずつ作る戦術がある。三と四セットで三つと捉え、スリーセブンと称されるようになった。  進めるマスを二つに限定でき、高確率で望みのイベントに止まれる。反面、偏った数字の組み合わせで時間切れになれば、墓穴を掘る事態になりうる。  前半からこの変則サイコロを使うのは台須ぐらいだ。  掲げられたサイコロは見事スリーセブンだった。  俺は怯まない。 「安心は早いぞ、転坊。おまえの三マス先は〈自転車乗り紙飛行機リップキャッチ〉だ」  双六フィールドの全容は、電光掲示板に表示されているが、選手は事前にメールで報される。それを元に戦略を立てたり、イメージ訓練するのが通例だ。 「造作もないですよ。ただし出る目は四でしょう」  台須が片手でルービックキューブ・サイコロを腰骨の高さに下ろした。両腰骨を結んだ線より下げて放ると、ペナルティーで一マス後退だ。膝を曲げるのも反則になる。  スゴロッカーに高身長の選手が少ないのは、バスケとは逆の競技性による宿命だ。  反則が重なるとそのぶん下がるマスが増えるが、下がったマスのイベントは免除になる。  この軽い反則を犯すプロ選手は滅多にいない。マス後退が起こると、客が興醒めするのが大きな要因だ。
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