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台須はサイコロを、一足分前へ逆回転させて落とした。回転方向に決まりはないが、回転数は五回以上と決まっている。破れば軽い反則なので、みな六回転を想定する。
奴が投じたサイコロは一度跳ね、爪先の一センチほど前で止まった。投げられたサイコロには、静止するまで一切触れてはいけないのもルールだ。
ビデオ判定室から審判員に伝えられる内容はなかった。絶対王者に反則の余地はなく、優美なフォームと綺麗な回転だった。
あげく四つの丸印が上を向いたので、拍手が湧く。
「ほうら、言った通りでしょう」
俺は台須の至高の技術力に奥歯を噛んだ。
出る目の操作など、イカサマをしなければ無理だが、プロ双六選手はかぎりなく確率を上げる術を知り尽くす。
まず腰骨の高さから放物線を描いて足場に着くまでの距離を一定にし、力の入れ具合を相関させる。
上手く縦回転で落ちれば、出る目は四種に限られる。望む目を下向きで投げ、床に落ちたときも下向きなら、半回転して足元に戻り、望む目が上向きになる。
ルービックキューブ・サイコロでは、スリーセブンにして側面を三の目で揃え、四の目を縦に三つ並べることも可能だ。
ただしそれらの妙技は理想であり、プロとしての飽くなき目標だ。毎度体現するためには、類稀な才能と精神の安定が必要になる。
鍛えた部位の違いや筋肉量の変化によって調整が狂ったり、試合中の疲労で上手くいかなくなることもある。
血反吐を吐くほどの修練だけでは容易にはいかない。
「なのに、ぶっちぎって望む目を出せる男がいやがる」
奴は技術が断トツだが、試合の構成や読みも抜群だ。常に高確率で出せるよう、計算し尽くしている。
「俺にはまだ辿り着けねえ次元だよ」
と、軽やかな足取りでマスを進める男の背中を、苦々しく睨む。
台須の止まったマスは、憩いイベント〈紅茶とチョコレート〉だ。テーブルと椅子が置いてある。
ヨハン・パッヘルベルの代表曲カノンが、大型スピーカーを通る。三つのヴァイオリンの音色が折り重なり、優雅に漂う。
「曲いんのかよ」と俺はいつも懐疑的になる。
フィールド脇に待機していた選抜一位メイドの照ファが、ゴスロリの衣装で大きな胸を揺らし、小走りで寄る。マス目に「よいしょ」と登った。
照ファの厚い唇から発せられる語尾上がり気味の声を、胸元のピンマイクが拾い続ける。
「お待たせしました、御主人様」
彼女は有名ブランドのアンティークな椅子を、腰を屈めて控え目な手つきで引いた。
対してプロ双六選手は淡々と振舞うのが、不文の紳士条項だ。台須は無言でおもむろに腰かけ、足を組み、膝頭の上で指も組んだ。女性の歓声がうざい場面だ。
黒い前髪を横一線で揃える、ふっくら頬で二重がぱっちりの照ファが、胸の谷間の位置に磁気製ティーポットを掲げる。一呼吸分、静止した。
紅茶に空気を含ませるため、同社のティーカップへ高い位置から注ぐ。
「お召し上がりくださいませ、ご主人様」
膝を軽く曲げ、腰を低くして差しだした。実に奥ゆかしい仕草だ。
さすがは選抜一位メイド。所作の中で、スポンサーの宣伝を卒なくこなし、「あっ」とか「はっ」とか止まる下手も全くなかった。女性ファンのブーイングが拍手に交じるのはいつもの御愛嬌だ。
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