エピローグ

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エピローグ

「ああ、疲れた」  俺は缶コーヒーを飲みながら言った。高いビルを見上げ、その上の夜空を眺めながら感傷たっぷりに息を吐き出す。 俺はひとつの戦いを終えたところだった。つまりは就職活動から帰っているところだった。俺は無職で、就職活動中で、そしていよいよ面接を受けたのだ。今日の午後3時から行われた面接、おれはそこで激闘を繰り広げなんとか帰還したのだ。いや、別に殴り合ったわけではない。精神的に、個人的に激闘だったというだけだった。いや、精神的にだけではなかった。肉体的にも戦っていた。 「あんなもん落ちただろ....」  俺はすさまじくげんなりしていた。実に落胆していた。なぜかといえば面接がまったくうまくいかなかったからである。  俺はプルプル震える手でまたコーヒーを一口飲む。  そう、プルプル震えているのだ。これはなにも意気消沈して体に力が入らないからというだけではない。 (痛い痛い痛い...体中が痛い...)  俺は、正直立っているのもやっとかっとの状態だった。なぜかといえば身体中が動かす度に激痛に見舞われ、そして圧倒的な疲労感に包まれているからだ。  早い話が激しい筋肉痛になっているのだった。  原因は明らかだった。昨日の晩のせいだ。あのひどい夜のせいだ。差知子に聞いた。  昨日の夜。俺はゾンビになりかけた。そして、明らかに人間の限界を越えた力を発揮していた。その時全身の筋繊維が引きちぎれたらしい。そのまま屍人になれば問題なかったのだろう。しかし、俺は人間に戻った。結果がこのザマらしい。 「あー....」  俺は呻き声を漏らしながら今日の面接を振り替える。  ビューティーサロンニューサチコにて目覚め、そして起き上がって全身に激痛が走った時、まず思ったのは原因より今日の面接の行方だった。休むかどうか、日にちを変えてもらうかどうか本当に悩んだ。しかし、下手なことをすると色んなことが終わる気がした。実際どうなのか分からなかったがそういう強迫観念に見舞われた。なので俺は強行することにしたのだ。ギリギリまで体を安静にし、動く度に痛む体で家に戻ってスーツに着替え、準備をし、そして這うようにして現地にたどり着き面接を受けた。  入室して開口一番面接官は、 「お体の具合が悪いんですか?」  と言った。俺は、 「全身筋肉痛なんです...」  と、力無い笑みを浮かべて答えた。  その後はなにを言われたか良く覚えていない。ふらふらの頭で言われたことに半ば自動人形のように答えていた。そして、面接は終わったのだ。 「あかんな...」  思い返して言った。どう考えてもダメだった。面接官は若干引いていた。というか、こんな体で面接なぞ行くべきでなかったのだ。良く良く考えれば俺はかなり異常な行動を取っていた。常軌を逸していた。普通休む。それでダメなら仕方なし、な気がした。こんな状態で面接に来るやつを取る会社もどうだろうとさえ思う。会社愛を認めたとか言い出したらドぎつい。入ったらどんな目に遭うか分かったものではない。  なんにしても、 「あかんなぁ....」  俺は手を震わせながらまたコーヒーを一口飲んだ。心の中はもはや無だ。なにも考えたくはなかった。街を救ったヒーローになろうがこんなものだ。現実は非情である。俺は黙ってビルの上を見上げていた。夜の街明かりが空を照らし、星はあまり見えない。 「帰るか」  俺はようやくよりかかった壁から離れ、歩き出した。そして動く度に身体中が痛んだ。きつい、あまりにきつい。しかし、帰らなくてはならない。俺は通りを進んだ。 『....と見られており、現在も捜査は続いています。犠牲者は数百人に上ると見られ、現場となったマンションには報道陣が詰めかけています。現場から中継です....』  電気屋のテレビがニュースを流していた。間違いなく昨日の話だ。シルベットが丸々乗っ取ったマンションの話。今日になって街を行き交う警察官の数も、パトカーの数も一気に増えていた。  あの事件は表向き、連続殺人事件の主犯が皆殺しにしたということになっていた。実際合ってるような間違ってるような感じだ。瞳花が見つかることはまず無いということだった。同様に俺もだ。狩人は裏で国家機関と繋がっており、事後処理は確実に行われるらしい。ニュースもしばらくしたら収まってしまうそうだ。  俺としてはありがたい話だが、なんともやるせない思いもあった。あそこで殺された人々の無念は晴れることがないからだ。そして、残された人々の悲しみも。俺たちがシルベットを倒して仇は討ったわけだが、それが世間に知られることはない。  だが、それも狩人のおきてなのだ。裏のことを表に知らせてはならない。過去、伝えた結果ろくでもないことになった場合がいくつもあったそうだ。  残念ながら俺にはどうしようもない話だった。 「ああ、辛い...」  俺は呻きながら足を進める。徐々に、ゆっくり、休み休み進んでなんとか路面電車の駅にたどり着いた。ここから乗れば5駅行ったところが最寄り駅だ。駅から一本入った通りに俺のアパートがある。 「あー...」  俺は声にならない声を漏らした。そして、ゆっくり方向を変える。横断歩道を渡らず、一本入った裏通りへ。二駅歩くのだ。なぜそうしたのか。そうしたかったからだ。なんとなく。痛む全身を引きずりながら俺は裏通りに入った。そこには小さなビルがずらりと並んでいる。古めかしいタイル張りの壁面、回る空調、点る非常灯、そして窓の明かり。俺の好きな景色だ。さすがに好きなだけあってこの状況でも胸が満ちる。俺は満足感でほぅ、と息を漏らした。  そして、トボトボ歩いた。今日のこと、そしてこれからのことを思いながら。  恐らく面接はおじゃんになっただろう。9割方そうだと思う。つまり、また仕事を探さなくてはならないということだ。それを考えると気が重い。まだ、就職活動を続けなくてはならないのだ。いい加減に辛くなってきたのだが...。しかし、せざるを得ないのでまた職安に行くしかない。 「あぁー...」  俺はまた声にならない呻き声を漏らす。こうすれば少しは体の辛さがましになる気がしたからだ。効果はほとんど無いといって良いのだが。  そして、ノタノタ進んでようやく俺はたどり着いた。ようやくだ。先にここに来たのはなんとなくだと言ったがそれは間違いだった。いや、嘘だった。俺は明確にここに来るためにこの通りに入ったのだ。  そう、この初めて瞳花と遭遇したビルの横に。俺はどうやら瞳花がまた居やしないかと思ってこの通りに来たようだ。  ビルの上の事務所はもう閉まっている。明かりは無い。そして、ビルと隣のビルの間の路地、そこを俺は見た。瞳花が刃物を屍人に突き刺していた路地。そこは真っ暗だ。しかし、向かいビル明かりに照らされてそこの輪郭ぐらいは見える。空調と、なんらかの資材がまず見えた。それから、俺はさらに目を凝らす。瞳花を探すために。じっくりと。 「うん...」  しかし、瞳花の姿は無かった。当たり前だった。むしろ何故ここに居ると思ったのか。狩人は色んな土地を渡り歩いて屍人を狩る人々だ。ひとつの事件を解決したのだ。もう、次の土地に行ったのだ。 「ちゃんとした別れ方しときゃ良かったな」  俺はポツリと言った。  結局、昨日俺はビューティーサロンニューサチコに戻るなりすぐに爆睡してしまった。本当に失神するように寝てしまったのだ。そして、起きたときもう瞳花は居なかった。代わりに差知子がログボを回収していた。瞳花はどうしたかと聞いたら、もうこの店を出てったとのことだった。  それから、差知子に狩人と屍人の世界のことに関しては他言無用だと、きつく言いつけられて店を出たのだ。だから、あれから瞳花には会っていなかった。  俺はほぅ、と息を吐き出す。 なんだろうか。予想以上に寂しい。たかが一晩一緒に過ごしただけだった。でも、一緒に訳の分からん事態を乗り越えたのも確かだった。いや、途中殺されかけたが。ともかく、なんだかんだ苦楽を共にしたのだ。なんだかんだ、俺はいつのまにか瞳花を友人のように感じていたらしかった。その友人が街を去った。もう、会えない。だから寂しかった。そういうわけだった。俺はそれから少しの間そこに佇んだ。 「帰るか」  俺は自分に言った。いつまでもこうしても居られない。帰ってまた就職活動をしなくてはならん。いや、今日は止めよう。まず、体を休めようと思う。  そうして、俺は歩き出す。と、しかし動きを止めた。すぐ後ろに人が立っていたからだ。パーカーとジーンズ姿で上下ともに真っ黒で、そのやぼったい服装に反して髪は決めている女が。 「何やってんですかあんた」  瞳花だった。 「ははは、なるほどな」  俺は笑った。なんだか可笑しかったからだ。 「なにがなるほどな、なんですか」 「いや、瞳花さんに会えるような気がして」 「はぁ? 私に会ってどうしようってんですか。あんたはとっとと日常に戻りゃ良いんですよ」 「いや、なんとなくな」  俺は息を吐き出した。一緒に寂しさも出てったようだ。今日瞳花は合口を持っては居なかった。もう、脅威は去った証だろう。 「ていうか瞳花さんはなんでここに?」 「全部終わりましたからね。もう発つんですが、ここの報告書を書き忘れてましてね。だから、現場検証です。まぁ、あんたのことがあってそれどころじゃなかったからなんですが」 「ああ、そういうこともしなくちゃならんのか。大変だな」  狩人は裏で国家機関と繋がっているという話だ。だから、報告書というものがあるようだ。なんかお役所っぽさを感じた。 「ていうか、あんた今日仕事の面接じゃなかったんですか? どうだったんですか出来映えは」 「ははは、多分ダメだったよ」 「おやおや、マジですか」  さすがの瞳花も同情の意を示してくれた。いや、言葉にではなく表情だけではあるが。その同情を俺が屍人になりかけた時に向けて欲しかったという思いが湧いた。  なにはともあれだ。 「瞳花さん、時間あるか? その残念なお話も含めてちょっとお茶でもしないか」 「まぁ、検証はあらかた済みましたから。良いですよ」 「そりゃ良かった。いや、実は瞳花さんにちゃんとお別れ言えなかったのが心残りだったんだよな」 「そんなもんどうでも良いですよ。つまんないこと気にしないでください」 「まぁまぁ、無事に事件を解決出来た慰労会ってことでさ」 「あんまりそういうの興味無いですけどねー」  と、言いながらも付いてきてくれるようだ。俺は行き着けの安いチェーン店の喫茶店へと足を向けた。  なんだか、良かった。最後に会うことが出来て。実にグッドタイミングだった。 「ああ、そうだ。せっかく会えたし一応」 「ん?」 「あんたのおかげで解決出来た部分もありましたからね。一応礼を言っときますよ」 「...えぇー」 「なんですかその反応は」 「いや、お礼を言う瞳花さんなんて想像出来なかったから」 「私をなんだと思ってんですかあんたは...ああ、いや。知ってますよ。性格の悪い歪んだ女でしょう」 「いやいや、そんなこと思ってないって瞳花さん。あんた命の恩人だぜ」 「はいはい。白々しいですね」  瞳花さんは不愉快そうに表情を歪めていた。俺は必死に取り繕った。だが、なにを言っても無駄だろう。瞳花さんの洞察力には絶対に勝てないだろう。  とまぁ、そんな感じで賑やかに俺たちはチェーンの喫茶店に向かったのだった。  街はもう完全に夜で、パトカーが行き交い、ビルがいくつも俺たちを見下ろしていた。  俺たちの活躍が世間に知られることはないが、少なくとも俺はあのめちゃくちゃな一晩を忘れることは永遠に無いのだった。  そして、俺はまた理不尽で過酷な現実と戦っていくのだった。
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