22 親の生き死によりノルマ

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22 親の生き死によりノルマ

5月25日  午後7時 「営業課長、投信どうだ?少しはつまったか?」 「支店長、実はちょっと私用で抜けたいんですが」 「なんだと、ふざけるなよ!理由はなんだ?」 「実は妻の母親が昼すぎに死にまして、下で妻が待っているんです・・・」 「バカヤローそれがどうしたんだ、出ていくなら数字出してからにしろよ、それぐらいの事はわかるだろ!」 筆者がこの業界をやめる決意をした最初の光景である。 崇高な人間の命を前にしてもなお支店の数字を追求する支店長。 それに服従せざるをえない、営業課長。 彼は自分の義理の親の死を昼すぎにすでに聞きながら、7時までもくもくと株の仕切りもこなし、オープン投資信託もこなしていたのである。 そしてさすがに最後のクローズド投資信託のつめの時にたまらず告白したのであろう。 その間、何回か奥さんから逼迫した電話があった理由がやっと全員に理解できた。 しかしその結果は鼻であしらわれて、「とにかく仕事をしてからだ」という論法。 この時われわれ課員全員がこの会話を耳にして「バカヤロー」の次の言葉は「そんな大切な事はもっと早く言え!」の聞き間違いかと耳を疑ったのであった。 そうでないとわかって「なんとか一分でも早く課長を開放してやろう。」 という気持ちになり、それこそ全員一丸となって投資信託の募集に初めて真剣に取り組んだ事をおぼえている。 そのかいあって残り6000万円を一時間あまりで消化したのである。 終わってから営業課長が 「みんなありがとう」 と言って出ていった時、充実感といいようのない虚無感が支店内を包んだ。 この話はすぐに他の支店にも伝わり、今だに伝説として伝わっている話である。 人間というものは自分が想定した限界以上の言葉にはすぐに反応できないものである。 この時に居合わせた営業マン全員が「バカヤロー」の単語に自分の耳を疑った。 今、目の前で起こっている事がはたして現実なのかどうかの判断に苦しんだのである。 直後に課長代理が全員を集めて 「みんな聞いてのとおりだ、しんどいのはわかるが、乾燥したタオルから水を絞りだすようにして、100万ずつでも積み上げて課長を開放してやろうや」 という言葉が今でも耳に残っている。
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