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きっと私は死んでいるのだろうとぼんやり思う。
裸足で雨の中を数時間走り続け、立ち止まって振り返る。道は間違っていない。
なのに……次の曲がり角、曲がった先で往生する。
何故なら、広がる風景が私を唖然とさせるから。
転がった自転車、凹んだ車。
またここに戻ってくる。
何度もこういう話を小説で読んだ。
だからきっと私はーー。
十九時丁度、それが私の消えた時刻。
小雨が降り始めたのは午前を終えようとしていたぐらいの時刻だったと思う。買い物途中で自転車を止めて、私は雑貨家に寄っていた。雑貨屋に目立つように並んでいるのはカボチャを象った小物達だった。
もう、そんな時期かと足を止めた私の前に小さな先客がいた。
カボチャの蔦を模した髪どめに中世のドレスを思わせるワンピース、手にはカボチャのランタンを持っている。
今からコスプレとは気が早いと思いながらも、食い入るように見つめる様子を見ていると何とも微笑ましく、選ぶ様子を見守ってしまった。
中でも取り分け気に入ってたのは、お菓子の入ったカボチャ型の小瓶だ。小さく肩を竦めて、振り替える。
「ねえ、叔父様、これ買ってくださいな」
ふわりと笑うって差し出す少女と目があってしまった。
気まずい沈黙。
「ふえ、お、叔父様」
慌てた様子で少女はきょろきょろと辺りを見回すが店内には私はその子、あとは数人の女子中学生がいるくらいだ。
「どうしたの?」
目があってしまった手前、無視することも出来なくて私はその子に声をかけた。幸いにも今喋っていたのは日本語であったし、言葉は通じるのだろう。
少女は手に持った小瓶を両手で握りしめ身を縮めたまま何も喋らない。ただ辺りを視線の動きで探るばかりだ。
「ねえ、その小瓶可愛いね」
もう一度声をかけると少女は私の方に視線を向けた。
「そういえばそのランタンもカボチャだね。ハロウィン好きなの?」
少女は小さく首を振った。
「好きじゃないの? もしかしてカボチャが好きなのかな」
その質問には答えない。ただ、じっと小瓶を見ている。小瓶の中にはキラキラした小さな粒が一杯詰まっている。
「もしかして、金平糖が好きなのかな?」
当たっていたのだろう、少女は微かに頬を染めて肩を竦めた。
「お姉ちゃんもね、好きなんだ金平糖。一緒に食べようか」
返事は待たずに少女の手から小瓶を受けとると精算をすました。ちょっと強引だったかな、怪しい人だと思われたかしらと後ろを確認すると少女は物陰に隠れながらも精算する私の様子を伺っている。余程気に入っているのだろう。
「はい、どうぞ」
手渡してあげると遠慮がちに小声で「ありがとう」と言って頷いた。小瓶を抱き締める口元が若干緩んでいる。ここで一つ頂戴というのは無粋だろうか、口実だったから別に構わないのだけど。
「叔父さん気づかずに外に出ちゃったのかな、外探してみよっか」
促すと少女は小さく頷いた。
雑貨屋の外に出るとまだ雨が降り続いていた。小雨なせいか疎らに人影がある。
「叔父さんどんな人?」
「ランタン、持ってる」
ん?
叔父さんもコスプレして歩いているというのだろうか、それだとかなり目立つのではないだろうか。
だが、見渡す限りそれらしい人影はない。
もしかしたらはぐれたのに気づかずここから離れてしまったのかもしれない。
「叔父さんの名前分かる?」
「ウィル……」
それが名前だろうか。少女の外見から予想はついていたが外国人の可能性が高い。まだ時期も早いのにコスプレしてランタン片手に歩いている外国人。相当目立っている筈だ。交番で聞けば直ぐにでも分かるだろう。
「交番、行こうか」
だが、少女は首振った。
自分で見つけたいのだろうか。
少し考えたが、そんなに目立つのだ。時間もないわけじゃない。手伝っても別に構わないだろうと、私は少女と一緒に町を探索することにした。
それが午後にあった出来事だ。
不思議な事に目撃者はいなかった。誰に聞いてもそんな人は見ていないというのだ。後ろにいる少女を紹介しようとすると尚の事訝しげな顔をされ、挙げ句に無視される始末。冷たい人間が多くなってきたなあというのを痛感する。
「お姉ちゃん疲れてない?」
心配そうに除きこんでこなければ、もう交番に任せようと投げ出していた。
「あのね……。これ」
てっきり金平糖をくれるのかと思ったらそうではないらしい。余程金平糖が好きだと思うと微笑ましい。徐にランタンの中に手を突っ込んだ。ランタンを模した小物入れなのだろうか。
取り出したのは金色のコインだった。良く見るとうっすらと繋ぎ目が見える。
「伯父さんにあげようと思ってたの。
……お姉ちゃんにだけ特別」
受けとると甘い匂いがした。
「チョコレート?」
「うん、伯父さん大好きなの」
「ありがと」
大事にポケットにしまって、笑顔を返す。
もうちょい頑張ってもいいかな、そんな時だった。
「あ、伯父さんだ」
少女が商店街の出口を見て大きく声をあげたのは。私も振り向いてみたが、誰もいない。
「ランタン持ってたもん。絶対に伯父さんだよ。お姉ちゃん、ありがとう」
にっこり笑って、少女は走り出し始めたが、不意に立ち止まる。
「そうだ、お姉ちゃん」
少女がランタンを掲げるとカボチャの目がぼんやり光った。最近の小物入れはハイテクみたい。ランタンで少女が照らしたのは、私の家の方だった。
「真っ直ぐこっちの道から帰るといいよ。迷い混むといけないから、暗くなったら、今日はもう出歩かない方がいいかも」
「君に言われたくないよ、君ももう迷子にならないようにね」
走っていく少女を見送って、私も帰ろうと帰り道を急ごうとすると不意に低い男の声がした。
「……教えなくても良かったのに」
やっぱり出口の方には誰もいない。少女の姿ももう無かった。
その時は気づかなかったんだ。私がそれに気がついたのは、家に帰って玄関の戸を開けた時だ。
「もう、何で私、出るときに傘持ってでなかったんだろ!」
そう、その言葉がヒントになった。
「あああああああああああ?!」
気づいてしまった。気づいてしまったからにはこのままでいられない。
そう、自転車。明日の通学でも必要になる私の便りになり交通手段。
もう外は薄暗くなっていた。
今から出ると帰るのは晩御飯ぎりぎりになる。
「ええい、ままよ!」
考える間もなく私は飛び出した。明日自転車が無いのは絶対にダメだ!
思えば、ここで少しでも少女の言葉を思い出していたら、私は死なずに済んだのかもしれない。
晩御飯までに帰らなきゃ怒られる。そんな思いが私を焦らせた。
そして、曲がり角を曲がった直前、車が目の前を横切ってそのままぶつかった。
交差点から見える公園の時計は何度道をまわってきても十九時のまま変わらなかった。
またその場を離れて今度は違う道に走ってみる。それでも、戻ってくるのはやはり自転車が転がるこの場所で、時間も同じ時間だった。
走っても走っても息が一向に切れない。このままずっと走り続けているのかなと不安になり足が止まった。
そういえば、どうして私の身体はここにはないのだろう。
気になって元来た道を引き換えそうとして、その場に座り込んだ。
真っ暗だった。
さっきまで走ってきた道がない。引き返した事がないので全然気がつかなかった。
道なんてない真っ黒な道。
目を凝らすと白い人影のようなものが見えた。延々と続く列。中には見知った人も見えた気がした。
「なんのこれ」
「Tric……r……et」
「うわああああああ?!」
耳元を掠めた低い声色。私は高速で壁に向かって這いずった。
背後に立っていたのは、 銀色の長い髪に片眼鏡をかけた外人男性が立っていた。肌は白く、マントを羽織っている。私を照らすように向けているのは白いカブのランタンだ。
カボチャが定番の中、何故カブをランタンにしているのかはわからなかったがこのコスプレ男、間違いない。
「あの子の言ってたウィル伯父さん?」
「ええ、先程はどうも。最もズレた道におりましたので、気づかなかったやもしれませんが」
やんわりと微笑んで、男は手を差し出した。紫色の手袋。マントと同じ色だ。
私は少しだけ安心した。見えている人がいるし、どうやら触れる。つまり、私は死んだわけではなさそうだ。
「ええ、もちろん」
まるで心を読んだかの相槌だった。
「まだ、死んではいませんよ。偶然出来きていた道に、事故の拍子に迷いこんでしまっただけですから。正しい道に戻ればちゃんと目を覚ましますよ」
楽しそうに笑う片目の傍らで、片眼鏡の奥には真っ暗な闇が続いていた。
「貴方、一体……。」
「おやおや、わかりませんか。仕方がない、日本では余り馴染みのない伝承なのかもしれませんね」
また小さく笑いを漏らすと「案内人ですよ」とウィルは言った。
笑うカブのランタンで真っ暗な道を照らす。すると、何も無いと思っていた闇の中にうっすらと道が続いていた。
「あれは……」
「目に見えるだけが道じゃない。普段一つしかないと思っている道にだって、幾つもの道が重なりあっているんですよ。けれども道は複雑で自由すぎて、初めて訪れた人はどれか選ぶことすら出来ないんです。一つの道を選んでいるつもりで迷いこんでしまう……。そんな人をあるべき場所へ道びくのが私の仕事です」
「こっちへ、行けばいいの」
「ええ」
楽しそうにウィルは答えた。
「ちゃんと案内して差し上げますよ」
続いていく道の先には白い人影の列が並んでいく。
「でも、そっちは」
「ええ、迷える魂の行き先はいつだってあちらだと決まっていますから」
冗談じゃない。私はまた交差点の道へと戻ろうとした。が……。
もうそこには自転車も車も交差点も無かった。
広がるのは深い闇だけ。
「だから言ったでしょう、もう迷いこんでしまっているんですよ。それともさまよいますか、私と同じように」
カブのランタンが大きく声を上げて笑い始めた。
もたれかかろうにも背に壁はなく、力なく座り込む。
「どうしますか」
その時ふっと思い出したのは、昼間の少女だった。
『伯父さんにあげようと思ってたんだけど』
ここに来たとき、ウィルが言った言葉、それはもしかしてハロウィンで同じみのあの言葉ではなかったのか。
咄嗟にポケットに手を突っ込んだ。
幸い食べずにしまってある。
「あの、これ……」
差し出すと、カブが笑うのを止めた。
「ど、どうぞ」
手袋が小さなコインチョコを受けとるとウィルは目を細めて柔らかく微笑んだ。
ぼんやりとカブの回りが明るくなった。転々と血の飛び散った壁。そこにスニーカーが二つ転がっている。
どうしたらいいのか、自然と分かった。スニーカーを片足に履き、もう片方のスニーカーにも足を入れる。
「今度は迷いこまないよう、気をつけて」
視界が白く明るんでいった。
目が覚めると、私は病室にいた。
母が、目に涙をためて叫んだ。
以上が私が高校生の時に体験した出来事だ。もしかしたらあれは夢なのではないかと思う。
ただ、あれから私は家を出るときよく金平糖とコインチョコを持ち歩くようになった。
もし、また道に迷っても戻ってこれるように。
それに……あえるような気がするのだ。
カボチャのランタンを持ったはにかんだ笑顔が印象的なあの少女に。
もし出会えたら、折角の忠告を破ってしまったことを謝りたい。そして、お礼を言わなくてはいけない。
小瓶にいっぱいの金平糖と一緒に。
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