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せっかくなので、この本を読むことにした。「店主」なのだから、椅子に座って読みたいと思い、チラシやらが張られたガラス戸の先の店内に足を延ばしたが、店内はノスタルジーな空気が漂っていた。一歩踏み出すごとにその空気と本のかびた匂いが重厚感を増す。店内は店内はおそらく十二畳ほどあるのだろう。だが、天井まで古本が積まれ、その広さを感じない。通路の手前にあった年季の入った黒いパイプ椅子を拝借し、出入口に置いて座ることにした。あの店主の玉座には、いつたどり着けるのだろうか。
先ほど手に取った本は「お目出たき人」というタイトルだった。最初から、この主人公は面倒くさいタイプだとわかった。話したこともない近所の女の子の鶴に一方的に恋をして、自分と鶴は結婚するのだとただ思い続けているのだ。行動していないから犯罪ではないが変態、ストーカーに値するだろう。ただ一途に思い続けていることを純愛なのだといい、そんな思いを抱く自分に陶酔している。少なくとも偏愛には違いないし、自分が鶴だったら、この思いは、ただ恐ろしいだけだ。
そんなことを思ったが、自分にも主人公に近い覚えがあった。中学時代、一方的に恋をしていた。相手は私の通う塾で、塾講師をしていた秋葉先生だ。端正な顔立ちで気さくな先生は、いつも女子たちに囲まれていた。私はにぎやかな女子の輪に入ることなく、ただひっそり想いを寄せていた。もちろん話しかけることはない。私の塾のクラスは二十人以上おり、もちろんそれ以外のクラスも受け持っていた秋葉先生には、私は認識されていなかっただろう。まあこんな片思いなんて、中学だとかの時期にはありがちなのかもしれないが、私がこの主人公に近いのは、ストーカーをしてしまったことにある。その日は、別の先生に質問をしていて遅くなってしまった。ちょうど、駅に向かう秋葉先生を見かけ、ただひたすらに後をつけ、電車に乗り、秋葉先生の降りる駅で降り、自宅の前までついて行ってしまった。家に着いたときに、自分がしてしまったことの大きさに気が付き、急いで自分の自宅へと帰ったのである。しかし、それ以降、塾に行く前に、秋葉先生の自宅周辺を歩くのが日課になってしまった。模試でたまたま国語の成績がよかったときがあった。 その際、秋葉先生に呼び止められ、「俺のおかげかな」と言われたときに冷や汗をかいた。罪悪感にさいなまれ、自宅周辺を周ることをやめた。それ以降、秋葉先生の授業は苦痛で、姿を見ると逃げ出したくなった。時間とともにその思いも引いていき、無事受験を終え、塾をやめることができた。やめるときには大分気持ちも落ち着いていたのだが、やっと解放された気がした。
なんか騒がしいと思ったら、小学生が下校していた。スマホを見たらもう二時を過ぎていた。途中、過去の記憶に馳せてたが、集中して本を読むなんて人生で初めてではないだろうか。自分に感動した。そして、こんな時間になっても誰一人客は来ないことに安心しながら、この店は大丈夫なのかと少し不安になった。店主とフミなる人物はいつ帰ってくるのだろうか。そんなことを考えていたら、おなかがすいてきた。そういえばお弁当を食べていない。こんな時間だが、そしてこんな場所でだが、お弁当を食べることにした。今日は、珍しくおにぎりにしたのでちょうどいい。さっと食べて、読書の続きでもしよう。急に自分が文学少女な気がして、高尚な気持ちになったが、アラサーで少女はアウトだと気が付き、心の中で反省した。店先でおにぎりを食べるのは、抵抗があったが、そうするしかないので、商店街を歩く人々を見ながら、おにぎりを食すことにした。小学生はどうも運動会の話題で盛り上がっているようだ。「私、アキラくん応援する」「えーだめ。私が応援するんだから」なんとも素直でうらやましい。中学生の私は見習ってほしい。口に運ぶと、今朝がたのセダンが店先に止まった。運転席から「フミ」が出てきた。驚いた顔で、こちらにやってきた。
「あれ、まだいたんですか」
「あ、いえ。すいません」
なんてタイミングで帰ってくるのだこの男は。「まだいたのか」とは失礼な。そうは思ったものの、口に入れていたご飯たちを急いで、飲み込んでそう答えてしまった。私は、しっかりと店番をこなしていたのだから、お礼を言われるはずなのに、おにぎりの手前、謝ってしまった。
「本当に店番してくれてるなんて思わなくて。すいません。ありがとうございました」
フミは嬉しそうに答えた。
「お客さん、来なかったでしょ」
フミは、ワゴンに半透明のシートをかけながら言った。
「はい。あ、いえ来ました。二匹。三毛猫と白猫が」
その二匹は恐れ多くも玉座に座っていた。
「ああ客じゃないですよ。うちの店長と副店長」
「え」
「嘘。ただの飼い猫です」
店主のように顔のしわを寄せて笑って言った。
「あ、そうですか。じゃあ私、帰ります」
店主のことは気になったが、これ以上この店にいる意味もないし、からかわれてちょっと嫌な気分になったので、そう告げた。
「あ、お茶でも…あ、いえ本当ありがとうございました。お話できてよかったです」
フミは頭を下げて満足げに私を送った。一方で、私はそそくさと出てきてしまった。話ができてよかっただなんて、大した話もしていなのに変な奴だ。そういえば、店主はどうしたのだろう。そもそもフミは何者だろう。普通に考えれば家族なのだろう。それでなくても店の関係者とかだろうか。悪徳業者とか犯罪者ではないよな。借金が返済できなくて、連れ去られてしまったのだろうか。そう考えると最初の会話が成り立つな。警察に通報した方がいいのだろうか……。ただあのフミが、私をツルちゃんと呼んだのは、あの本を知っていたからで、そんな読書家の犯罪者がいるだろうか。そんなことを考えているうちに、最寄り駅についてしまった。結局いつもの時間にいつものようにスーパーで買い物をして帰った。
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