帰家

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 実家に戻って数日経つが、まだ実感が湧かなかった。何しろ18年もの間、見知らぬ土地で軟禁生活を送っていたのだから、今、こうして自分の書斎で著作を整理していることこそが夢の中のことのように感じるのだった。 「父上、これを覚えていらっしゃいますか?」  側で手伝いをしてくれている息子が手紙の束を寄越した。 「もちろん、覚えているさ」  彼が流配地から家族に送ったものだった。 「父上からの書状のおかげで私たち兄弟は身を慎んで学問に精進することが出来ました。そして家族は皆、日々、気を落とさずに暮らせたのです」  息子の言葉を聞きながら、彼は自身の書いた文字を見直した。  これは、経伝の読み方について息子の疑問に答えたもの、こちらは下の息子の生活態度を諫めたもの…、おお、養鶏方法についてのものもある…。  彼は、これらを書いた時のことを思い出しながら思わず微笑んだ。  この18年の間に、末っ子を亡くし嫁も世を去った。だが、幸いなことに妻を始めとする家族と暮らせるようになった。 「それにしても、ずいぶん多くの著作を執筆されましたね」  息子の声に我に返った彼は、この状況が現実であることを実感した。 「我が生命がこの先どの位あるか分からないが、ここにあるものだけは全て家集としてまとめておきたいと思う。手伝ってくれるか?」 「はい、喜んで」  父の依頼を息子は快諾したのだった。  18年という長い流配生活の中で茶山・丁若鏞は多くの著作を残した。それらは、歳月を越え、国を越えて多くの人々の心をとらえ続けている。
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