第1話 呪いと不運のおまじない

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第1話 呪いと不運のおまじない

 そこは西池袋の公園そばにある小さなカフェ。  一見すると落ち着いた雰囲気のある隠れ家的な印象を受けるカントリー風の店のデザインだが、よく見るとそこここに普通のカフェでは見かけない小物が店先のあちこちに置かれていた。そして窓には小さな張り紙があり、そこには『占いします』と書かれている。  よく見ると店先の小物は、ドリームキャッチャーなどのオカルト的なグッズだった。  カフェの名前は『ウィッチハウス』。  店主の松田美波は20代前半くらいに思えるが、落ち着いた雰囲気と理知的な面差しもあり、見た目よりも年上とも思える女性だった。やや青味がかった黒髪は背中の中ほどまで届く長さだが、カフェの仕事の邪魔になるのか、ひとつに結ばれて左肩から前に垂らされていた。 「ミス・モリー。今日もお客さんが来なかったらどうしよう?」  美波が話しかける相手は、行儀良くカウンター席に腰掛けてミルクを飲んでいる八割れで赤茶色の毛並みをしたノルウェージャン・フォレストキャットだった。  モリーは何とかなるでしょ的な表情を見せてニャアとひと声鳴いてから、またミルクが入った皿に口つけた。 「自分で淹れたコーヒーを自分だけで消化するのも、そろそろ飽きてきたんだけどなぁ。やっぱり広告打たないとダメなのかなぁ……」  別に相談されている訳でもないと思ったのか、モリーは顔も上げず、鳴いて相槌を打つこともしなかった。  美波が淹れたコーヒーをマグカップに並々と注ぎ、砂糖もミルクも入れずに飲もうと持ち上げた時、モリーがフッと頭を上げた。その直後、ドアに付けられたウィンドベルがリリーンと澄んだ音を響かせた。  お客が店に来た合図だ。 「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞー」  店内はそう広くない。  カウンター席が五席に、四人掛けテーブル席が三席。その内のカウンター席のひとつは、モリーが占拠していた。 「あの……ええと……」  お客は高校生らしき制服を着たゆるふわなボブカットにした女の子で、大人しめの印象があるタイプだった。どこかオドオドしている様子から、コーヒーを飲みに来たわけではないと美波は察した。 「占い? それともおまじないかしら?」  美波の質問に女子高生はコクコクと頷いた。 「よく効く魔女のおまじないを教えてくれるって聞いてきたんですけど……」 「なるほど……」 「お姉さんが……魔女なんですか?」  ストレートな質問に美波はニッコリと笑って見せた。 「そうですよ。私は魔女です。あんまり、そうは見えないと言われるけどね」 「はあ……」  美波の格好は極めて活動的なカフェの店員らしき姿だった。脚の細さを想像させるぴっちりしたデニムのスキニーパンツに白いシャツ。そして、ダークブラウンのエプロンを身につけていた。  ローブをまとったり、煌めかしい宝石でジャラジャラと身を飾ってもいない。ごく普通の服装をしていた。 「これでも五〇年くらいは生きてるから、人生相談にもそれなりにのってあげられるけど」 「本当に……そんな年齢なんですか?」 「さあ、どうかしら? ふふふふ。御用があるならカウンター席に腰掛けて話をしてね。御用がないなら、回れ右してお店から退散すること。さあ、どっちにする?」  女子高生はどうしようか少し迷った後、小さく頷いてからモリーの隣の席に座った。  それを見た美波は、コーヒーカップにコーヒーを注ぎ、ミルクピッチャーを添えて彼女前に置いた。 「あの……私、頼んでませんけど……」 「サービスよ。コーヒーは嫌い? 魔女らしくハーブティーの方がよかった?」 「いえ……大丈夫ですけど……」  女子高生は首を振ってからコーヒーにミルクと砂糖を二杯入れて、添えられていたスプーンでかき混ぜた。 「で、ええと……貴女のお名前は?」 「篠田です。篠田亜子です」 「亜子さんね。どんなおまじないをご希望?」    亜子の見た目はそう悪くなく、所持品も年相応のものばかり。いじめられているような印象もない、極々平均的な女子高生という感じだった。ただ、彼女らかなり深刻な表情を見せていていた。  女子高生が深刻な顔を見せる時は、『恋愛』か『成績』、あるいは『いじめ』というのが最近の占い師の中では定番の予想項目だ。街占の占い師はその推測から大仰な態度で相談内容を当てて見せるのが基本中の基本。  だが、美波は亜子が切り出すまで、マグカップのコーヒーを飲みながら黙って待っていた。 「二週間前まで、付き合っている彼がいました。でも、突然、好きな人が出来たと言われて、別れちゃって……。それ前まで、そんな素振りはまったくなかったのに……」 「別れる理由が分からないのね」 「はい。そればかりか、最近妙についてなくて……。落ち込んでいるなら、占い師にでも見てもらえばってクラスの友だちに言われて……。でも、なんか占いとは違う気がしたんだけど、色々と調べていたら……ここが見つかって」  ーーネットの書き込みか……。ヤバイ依頼かなぁ……。 「もしかして私、呪われているんでしょうか?」  亜子は飛躍した考えの持ち主と思う人もいるかも知れないが、今の世の中では、そう飛躍したものでもない。  占い師やまじないをネットで探すと、呪い代行や呪殺請負というサイトなどが出てくる。女子高生でもそうしたサイトに入り込み、クラスメイトを呪うなど嫌な事件が起きるケースがたびたび発生している。  もちろん、それが本当に効果を発揮する呪いかは分からないが、呪われたという噂を聞きつけ、そう思い込むことにより、実際に呪いの効果が発生することもある。  何か失敗が続くとツキがないと感じる。そこに呪われたという噂が入れば、それは呪いの効果でツキがなくなったことになる。さらに思い込むことでより運から見放され、悪いことが起こりまくるスパイラルに入り込む。  まじないは、そうした不安を取り除いて前を向くためのひとつの方法でもあった。 「なにか思い当たることはあるの?」 「学校でそんな話が話題になってたし……。身の回りに妙な気配を感じるし……」 「なるほど……」  美波は濡らした指先で配膳台に小さな魔法円を描いた。円と三角形を組み合わせた簡単な魔法円だが、描ききったそれは淡くぼんやりとした紅い色の光を見せた。それを見た美波は、少し顔をしかめた。 「亜子さんは、彼を奪った相手から取り戻したい?」 「え……? いや、どうかな。戻ってきて欲しいという思いはあるけど、なんか上手くいかなそうだし……」 「そうね。もう終わった恋にしがみついてもいいことはないと思うわ」  美波はそう言うとカウンターから身を乗り出して亜子に顔を近づけた。 「さて、まじない事なんだけど、もちろんタダじゃありません。一応、お薦めのコース的には三千円と五千円のものがあるけど……どうしますか?」 「結構……高いですね」 「費用対効果は保証するけど」 「じゃあ……五千円の方でお願いします」  亜子は少し悩んだ後、思い切ったように高い方のコースを選んだ。その選択に美波は意外そうな顔を見せつつ、カウンターの奥に向かい、漢方薬店に見られるような無数の引き出しがある棚の前に立ち、考えながらいくつかの引き出しを開けて中に収められている物を取り出した。 「さて、まずはお店の浄化かな」  まず、美波は赤いホーローのケトルに水を入れて火にかけた。 「沸騰するまでちょっと待ってね」 「はあ……」  亜子は物珍しそうに美波がやることを見ていた。魔女術という亜子が知る『おまじない』というものとは異なる儀式に興味津々という様子だった。  美波はその間に銀のボールを用意し、そこに引き出しから取り出した小瓶の液体を数滴ずつ垂らしていく。 「それは、なんですか?」 「エッセンシャルオイルよ。レモングラス、シトロネラ、パルマローザ、ジンジャーグラス、ベチバーね。これにホホバオイルを混ぜるの」  美波は小さな泡立て器を使い、ボールの中に注がれたオイルを混ぜ合わせた。  さらに窓辺に植えてあったペパーミントをひとつかみ採ると、それをザルに入れて、ひと回り大きなボールを準備する。 「なんか……お菓子作りをしてるみたいですね」 「キッチンで作業していると、そう思われることもあるかな」  ケトルから湯気が上がりはじめ、沸騰するのを待ってから美波は火を止めて、先ほどのペパーミントのザルに熱湯を注いでゆく。すぐさま周囲にミントの爽やかな香りが漂いはじめた。  ペパーミントに注がれた湯はすべてボールに溜まり、それが冷めるのを待ってから、美波は長く伸びたペパーミントをさらに数本採って束にしたものを使って店に振りまいた。  ペパーミントの香りが店中に広がるからそう感じるのかも知れないが、亜子は店内の空気が凄く澄んだものになった気がした。 「さて、浄化は終わりっと」  美波は白いお皿を棚から取り出し、亜子前に置いた。さらに青色の食品着色料を溶いた小皿に楊枝を添えて並べた。 「亜子さんには、このお皿にそのインクを使って十字架をみっつ描いて欲しいの」 「十字架をみっつですね」  亜子は言われるままに皿に十字架をみっつ描き込んだ。そんなことをするだけで、なんとなく気分晴れてくる気がするから不思議だった。 「ありがとう。この十字架を洗い流します」 「はあ……」  なにをされているのか亜子は分からず、ただ頷いてカウンターの中の美波の作業を見つめた。  美波はペットボトルに入れてあった水をタラタラと流して亜子が描いた十字架を洗い流しはじめた。流した水は下に置かれたボールに溜まっていく。やがて皿の十字架は綺麗になり、ボールには極々薄い青色に染まった水が残された。  先ほどエッセンシャルオイルとホホバオイルを混ぜ合わせ物をそこに流し込んでいく。 「これはヴァンヴァンオイルという魔女のオイルのひとつなの」 「ヴァンヴァンオイル?」 「マジカルオイルとかという形で売られていたりするけど、自分で簡単に作ることができるのよ」  美波は説明しながら、そのヴァンヴァンオイルと薄青色の水を泡立て器で混ぜ合わせてゆく。  その混ぜ合わせた液体を200ccほど入りそうなガラス瓶に流し入れて封をした。 「もうひとつは……」  美波はまた引き出しの前にゆき、いくつかの小瓶と白い粉が入った小袋を取り出した。白い粉を乳鉢に入れて、小瓶のエッセンシャルオイルを二滴ずつ加え、粉と混ぜ合わせはじめた。 「これはアロールートの粉に、カモミール、ペパーミント、ウインターグリーンのエッセンシャルオイルを混ぜ合わせたものよ。で、乾燥するまで待ってね」 「はあ……。いったいなにをしているんですか?」 「魔女のまじないよ」 「魔女のまじない?」 「亜子さんの予想通り、貴女は軽く呪われていたわ」 「呪いって! どんな呪いですか?」  とんでもないことを言われて亜子は慌てたが、美波は落ち着いてというように彼女の肩を軽く叩いた。 「多分、ネットの呪い代行とかいう素人レベルの技だから問題ないわ」 「問題ないんですか?」 「まあ、簡単に払えるから安心していい程度ってこと。ただ、そのせいでちょっとだけ運のバランスが不の方向に傾いているのが今の状態だと思うの」  美波の呪いの説明を亜子は真剣な顔をして聞いていた。そのため、美波は安心させるように笑顔を見せながら話を続けた。 「まず家に帰ったらこの液体を足の裏に軽く塗って肌荒れしないか確認して。問題なければ、これを使って両足の裏を洗って」  美波は200ccほどの小瓶を亜子に差し出した。 「それで呪いは払えるわ」 「そんな簡単な方法で?」 「まあ、貴女に不運が訪れますように的な雑な呪いだったから、こんな感じの解呪方法で済んだの。複雑な呪いならもっと別のものを用意したわ」  美波は肌がかぶれないかちゃんとテストしてから使うようにと釘を刺してから、乳鉢の粉末を見せた。 「貴女に降りかかった不運を排除するおまじないがこちらの粉。本来は身の回りに撒くんだけど、貴女の場合はこういう袋に入れて持ち歩くといいわ」  美波は指輪やパワーストーンを入れるような白い小さな袋を取り出した。素材はシルクで出来ているのか光沢があり、滑らかな手触りの袋だった。 「この袋に入れておくと、粉は自然に袋の目からこぼれてゆくからいつかなくなるけど、その間は、この呪いがかかった間に見舞われた不運の分だけ幸運が補填されるはずよ」  美波は小袋に粉を流し込み、黄色い紐でギュッと縛った。 「よく使うカバンなんかに下げておいてね。ただし、濡れないように注意すること。いい?」 「はい。濡らさないようにします」 「万が一濡れてしまったら、窓辺でお日様にあてて乾かすこと。いい?」 「分かりました」 「じゃあ、これでおしまい」 「これで?」  なにか怪しげな液体と粉が入った小袋に果たして五千円の価値があるのだろうか? 亜子じゃなくてもそう考えるだろう。 「効果があるかどうかは亜子さん次第かな。信じて行えば必ず効果はあると思うわよ」 「分かりました。ありがとうございます」  亜子は小袋と瓶をカバンに入れて頭を下げ、店を出ていった。 「ちゃんと信じて実行してもらえるといいんだけどな。まあ、どうするかはあの子次第よね」  美波の言葉にその通りというようにモリーはニャアとひと声鳴いた。  その効果があるかどうかは、あなたが信じるか信じないか次第。それが魔女のおまじない。  あなたもおひとつ、いかがですか?
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