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第6話 浄化のまじないと魔女集会
「美波いる?」
そう気さくな態度で店の扉を開けたのは、金髪をベリーショートに刻んでライダースジャケットにホットパンツという、この手のカフェとは無縁そうな格好の女性だった。年頃は美波と変わりなさそうな20代前半くらいに思える。
「げっ」
美波はそんな声をもらし、やっばーと言うようにおデコを押さえた。
「なによその、人の顔を見るなり『げっ』て反応は……ん? あんたバランス狂ってない?」
女性の名前は結城真奈津。こう見えても魔女の1人だった。
「ちょっと色々あって……」
「色々ってなによ? 大方、同じチャームやアミュレットを作り過ぎたんでしょ!」
図星を突かれて美波は恥ずかしそうに俯いた。そんな彼女を見て呆れたような顔をしてため息をひとつつき、真奈津は美波の前のカウンター席に腰掛けた。
「なにがあったの?」
さあ話せという真奈津の態度に美波は諦めたようにため息をつき、レモングラスのハーブティーをいれたカップを差し出してから、ことの成り行きを説明した。
「バカだねぇ……。短期間にギャンブル系チャームを10個も作ったら、そりゃ消耗して当然だわ」
呆れたとダメ押しのため息をつかれて、美波はムッとしたように膨れ面を見せた。
「あたしだってバカなことをしたとは思っているけど、まじないのおかげで宝くじが当たったなんてお客さんが聞いたら、絶対興味持つじゃない!」
「50年も生きてる女が膨れ面見せても可愛くないよ。そういうのは、あんたの実齢を知らない男に見せなさいよ」
「そんな男いないし……」
「あたしもいないから安心しな。まあ、魔女は恋するたびに年老いていくから、若さを保つにはそれがちょうどいいのよ」
魔女は人に恋するたびに、その間の期間年を取ると言われている。年老いた魔女は結婚して人並みの生活を送った者や、数多い恋を楽しんだ者の姿だという。
14歳前後で魔女となり、多少の恋をしてきた結果と今しばらく恋をしていない事実が今の2人の外見的年齢を示していた。
「あたしらを魅惑してくれる男がいないことが、今の日本のダメさを示しているんだけどね。あはは」
「で、ここに来た理由はなに? ただあたしをなじりに来たわけじゃないでしょ?」
「なじるだなんて人聞き悪い。でも、ちゃんとした理由があるよ。南池袋公園がちょっと元気ないんで、集まれる魔女が魔女集会をしようってことになったから、誘いにきたのよ」
「期日は?」
「今夜、草木も眠る丑三つ刻(午前2時前後)」
「そんな時間じゃ街は眠ってないでしょ?」
午前2時の池袋。確かに街が眠る時間ではない。
「どうせ集会は見えないよ。見える奴がいても雑司が谷の変人でもない限り、たいていは影が踊っているように見えるだけさ」
「そうね……」
雑司が谷の変人と呼ばれた人物は、雑司が谷墓地近くの洋館で『もののけ』研究している不思議な男のことだった。
「わかったわ。適当なハイドロゾルを作って参加しますと、ハウトーン・カブンのリーダーに伝えて」
「そういうと思った。待ってるよ」
真奈津はグイッとひと飲みでハーブティーを流し込むと、じゃあまた、と言って店を出ていった。
「今夜だと準備が大変だな。カブン・リーダーに会うんじゃ、疲れた顔は見せられないし……お店は閉めちゃおう」
美波は『所用により、3日間お休みします』と張り紙を作り、扉に張り付けてクローズドの看板をかけた。
「さて、準備しないとね……」
美波は階段を上がって上の居室を抜け、さらに上にある屋上庭園に上がった。屋上には小さなガラスハウスと様々なハーブが植えられており、イングリッシュ・ガーデン好きが喜びそうな菜園兼屋上庭園があった。
まず美波は庭園の中心の芝生に折りたたみ式の丸テーブルを広げて設置した。場所が気になるのか、しっかりと測りながら屋上の中央に丸テーブルを配置する。
次に菜園からオレガノ、ローズマリー、ミント、マジョラム、そしてガラスハウスの中からラベンダーを摘んで、持参した洗面器として使えそうな木桶に山盛りにしてゆく。ラベンダーが手に入らない時は、自分が気にいる香り程度の量のエッセンシャルオイルをハーブに振りかけてもいい。
そして美波は屋上庭園を後にし、2階の浴室に入ってバスタブの中に木桶を置いた。
それからホーローのケトルで湯を沸かし、木桶に山盛りになったハーブに円を描くようにゆっくりと熱湯を注いでゆく。
湯気とともに新鮮なハーブの香りが浴室にふわりと広がってゆく。溢れさせないように木桶いっぱいに湯を注いだら、10分ほど放置する。
美波は木桶を使ったが、熱湯に耐えられる容器であれば洗面器でも問題はない。直接、バスタブにハーブをまいて湯を注がなければいいだけだ。
そして、その木桶をバスタブに置いたまま、ぬるま湯を張ってゆく。バスタブに注がれるぬるま湯の水かさが上がってゆき、自然と木桶の湯と混じり合ってゆくのを待つ。
魔女によっては木桶の湯のみをバスタブに張ったぬるま湯に注ぐとするものもあるが、美波はハーブが浮いた湯が好みなので、そのまま放置する。
バスタブに湯が適量張られる頃には浮力で木桶が浮いてしまうので、最後は木桶をひっくり返してハーブを抽出した湯をすべてバスタブに流し入れてしまう。木桶はバスタブには戻さず、そのまま出してしまっていい。これで準備は完了。
あとは服を脱いで湯浴みするだけだ。
美波は脱衣室で服を脱いで全裸になってから、全身が映る姿見の鏡に身体を映して見る。
髪を解いて真っ直ぐなストレートロングヘアになった彼女の姿は、均整のとれたプロポーションをしていた。大きすぎもなく小さくもない形のいい胸。細すぎない手足にくびれたウエストから流れる柔らかな丸みのあるヒップライン。
美波は身体を回して背中や全身を鏡に映してから、浴室に入り、かけ湯をせずにゆっくりと脚からバスタブに入り身体を沈めてゆく。そしてそのまま頭も入れて、完全に湯の中に全身を沈める。
これは普通の入浴ではなく、あくまでも身体のバランスを整える浄化のまじない。
汚れを流すのではなく、体内に溜まった穢れや疲れの元を流す儀式のため、普通の入浴時にするかけ湯などは不要だった。
息がもたなくなったら顔を出して、あとは気の済むまで湯浴みをするだけ。
美波はぬるま湯が冷めるまで、じっくりと浸かり続けた。
バスタブから出たら全身をシャワーで洗い流してしまう。身体についたハーブの湯とともに体内の穢れなどが流れ落ちてゆく。
それでもほんのりとハーブの香りが身体に残っていた。
浴室から出て髪を乾かしてから、もう一度、美波は姿見に裸の姿を映してゆく。
先ほど、美波の目には微かに見えていた身体の曇りは消えて、張りのある綺麗な姿が映し出されていた。やや青味がかった髪も艶を増して青く光っているようにも見える。
「これで浄化完了っと」
美波はバスローブをまとい、魔女集会に参加する準備に取り掛かった。
元々ハイドロゾルを作ろうと思って取り寄せておいた白薔薇の花束を持って、蒸留器のある作業部屋に向かう。
本格的な蒸留器は15万から20万ほどするが、自分の趣味で作る程度なら、アロマショップなどで1万5千円前後で購入できる。大量消費することのある美波は、かなり大型の蒸留器を使っていた。
蒸留器の窯に白薔薇と水を入れてスイッチを入れる。
ハイドロゾルとは芳香蒸留水のこと。
蒸留器で作られた蒸留水は、さらに分離の工程を経て油分はエッセンシャルオイルに、水分はハイドロゾルという蒸留水となる。エッセンシャルオイルの残りカス的なイメージを持つ人もいるが、ほのかに香る水であり、抽出成分が強いオイルに比べて効能が低いために気軽に使えるアロマウォーターという感じになる。
美波は白薔薇のハイドロゾルが冷めるのを待っている間に、冷蔵庫に保管しておいた奥多摩で汲んできた湧水を詰めたタンクを取り出して1リットルほど鍋に注ぎ込む。その鍋に冷めた白薔薇のハイドロゾルを注ぎながらゆっくりとかき混ぜる。
ハイドロゾル1に湧水2の割合で作られたこの液体は、ノートルダム・ウォーターと呼ばれるスペル・ウォーターになる。
美波はノートルダム・ウォーターを3本のボトルに移し、生成り生地で作られたトートバッグに入れた。
「あとは……」
すでにかなり時間が経っていて、窓の外を見るともう日が暮れて真っ暗になっていた。
窓を開けて空を見上げると、上空は風が強いのか空にはチラホラと星が見え、細い月が浮いていた。
「本当は満月がいいんだけど、仕方ないよね」
美波は聖杯を模したと言われる小さめの銀製の盃ーーチャリスを棚から取り出し、湧水をそこに注いで屋上庭園に向かった。
バスローブを脱ぎ、全裸になってから屋上庭園に出てゆく。誰かに見られたら……という感覚がないのか、いつも通りの歩みでゆっくりと中央に置いた丸テーブルに近づき、テーブルの中心にチャリスを置く。
チャリスに注がれた湧水には星と三日月が映り、しばらく経つと、そのほのかな星明かり月明かりを吸収したのか、微かに光りはじめた。
美波はチャリスを手にして眉間に当てるように水を流してゆく。
水は眉間から頬を伝い胸元に落ち、身体を伝って足元に流れてゆく。
「これで多少は月星の力をチャージ出来たかな」
美波はバスローブをまといなおし屋上庭園を後にした。
予定時刻の30分前に美波はバスローブを脱いで裸になり、下着をつけずに藍色のローブを着た。さらに藍色のマントを羽織る。ローブの内側に入り込んだ髪を手で跳ね上げるように引き出すと、髪の動きとともにふわりとしたハーブの香りが部屋に広がった。
生成りのトートバッグを肩にかけると、支度が終わるのを待っていたというようにモリーが寄って来てひと声鳴いた。
「お待たせ。じゃあ、行こうか」
1人と1匹は夜の街に踏み出した。
ヒタヒタと素足でアスファルトを踏む音が美波の耳に心地よく響く。美波は楽しくなり、跳ねるような足取りで小走りに街を進んでゆく。
午前1時半の都心はまだ人通りがあるが、美波に気にした様子は見られない。それどころか街を歩く人々にも、美波を気にした様子は見られなかった。魔女のローブを着た魔女を普通の人間は見ることは出来ないという言い伝えがあるが、まさにその言い伝え通りに人々は美波に気づいていない。
時折、ハーブの微かな芳香に気づいて振り返る人はいたが、美波の姿は見つからず、ただ不思議そうに首を傾げるだけだった。
予定の時間よりも早めに着いたはずなのだが、すでに真奈津や他の魔女たちが南池袋公園の芝生の広場に集まっていた。
芝生の上には鋳物でできた巨大中華鍋のようなファイヤーピット(焚火台)が置かれ、すでに焚火の火が灯されていた。
「いらっしゃい」
火の側にいたハウトーン・カブンのリーダーの三隅 蓮が美波を見つけて声をかけた。彼女は黒いローブとマントを羽織っており、その顔立ちは30代後半くらいの女性に見えた。他にも4人ほど集まっていたが、皆、青や黒、緑の暗い色合いのローブに身を包んでいた。中には60代くらいの女性もいたが、魔女の年齢は見た目では計れない。
「ようやくきたね」
背後からそう美波に声をかけた真奈津だけが、真紅のローブにマントという派手な色合いの姿をしていた。先ほどまでなら、藍色のローブの美波も派手な色合いに思えたが、真奈津が出てくれば話は変わってくる。金髪に真紅とあって、集まったメンバーの中で一番目立っていた。
しかし、誰もそれを注意する者などいない。誰もが最初に選んだ色のローブを生涯身にまとうのが、ハウトーン・カブンのルールだった。
カブン(コブン)とは、魔女のグループのことで、何か問題があればこうした集会を開いたり、知識を交換しあったりする。中には戒律を厳しくしている所もあるが、美波と真奈津が所属するハウトーン・カブン(山査子会)はユルいグループだった。
「それでははじめましょうか。この公園は作り直してまだ大して経っておらず、地の力が弱まり、精霊力が薄れています。今夜は祈りを捧げて、精霊を補助しましょう」
蓮がそう声を掛けるとリュートを持ってきた60代ほどの魔女が曲を弾き始め、それに合せて皆がハミングを歌い始めた。アイルランド調の優しい曲とハミングの響きに植え込まれた木々や芝がサワサワと揺れはじめる。
集った魔女とその使い魔たちが火の周りを回りながら歌い続けると、オーブのような淡い光が漂いはじめた。
美波はノートルダム・ウォーターが入ったボトルを隣りに並ぶ蓮と真奈津に1本ずつ手渡す。ボトルを持った3人は、火の周りを回りながら軽くボトルを振り、ノートルダム・ウォーターの水滴をまいてゆく。水滴を受けた芝からはさらにオーブが浮かび上がり、キラキラと輝く空気が公園に広がっていった。
火が焚かれているにもかかわらず、誰一人気づかない魔女と精霊たちの集会は明け方まで続き、日の出前に解散となった。
早朝にこの公園を訪れた者は、いつも以上に空気が澄んでいて気持ちのいい風が吹いていることに気づいたかもしれない。しかし、芝生の上に円形に小さなキノコが生えていたことに気づく者はいないだろう。
そのキノコたちも午前中の内に消え、公園はいつもの日常を取り戻す。
魔女たちが時折公園に現れて、こうして地力を高めて木々の精霊に力を与えるまじないをしていることを知る人は、たぶんいない……。
「久々の魔女集会、疲れちゃったね、ミス・モリー」
家に帰った美波が部屋着に着替えてからモリーに話しかけると、彼女は同意するように大きなアクビをしてみせた。
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