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 こんなにも生き辛いと思ったのは、いつ振りだろう。  師走は中旬の頃。 街の様相は、目前まで迫ったクリスマスを迎え入れようとしていた。 葉の落ちた街路樹には橙色に灯るイルミネーションライトが絡み付き、トナカイやサンタに扮してケーキの販売促進運動に勤しむ声が聞こえる。 今年はホワイトクリスマスになるだろうと、天気キャスターは嬉々としていた。  ──めでたい奴らだ。  ガードレールに腰掛け、草臥(くたび)れたスーツに身を包んだ男──御手洗(みたらい)は、胸ポケットから潰れたマルボロのケースを取り出し、一本を咥えた。 百均のライターで火をつけ、美味くも不味くもない紫煙を(くゆら)せる。 これが最後の一本だった。  元より、煙草を始めるつもりなんて無かった。 初めて味を知ったのは、今の会社に大学の新卒で入社して、一年も経たない内であった。 求められるスキルや社内風紀に上手く順応できず、日々ストレスを抱え続けていた。 そんな時に半ば興味本位で始め、そこから歯車が狂ってしまった。  正直、依存を治すには会社を辞めるしか手は無いと、御手洗は考える。  誰かに誉められれでもなく、仕事のやり甲斐も霧散し、人間関係にも疲れが見え始め、御手洗が入社当時に抱いていた煌びやかさは、すっかり泥塗れになっていた。 今になって思えば、会社ではなく『社会に出て働く自分の姿』を勝手に輝かせていただけなのかもしれない。  まさか自分がこんなにも荒んだ大人になるとは、十年前の御手洗少年は思いもしなかっただろう。  いつもの癖でもう一本吸おうとした己に苦笑し、御手洗は帰路を再び歩き出した。 ケースは握り潰し、道中に設置されていた屑入れに放った。 どうせなら一箱買って帰ろうか、と御手洗がコンビニを目指した時だった。 「あの、すみません」  鈴を転がしたような声が、御手洗の耳朶に流れ込んだ。 思わず声の方を向くと、サンタの格好をした若い女性が立っていた。 左手でチラシを抱えている。  御手洗が虚を突かれて立ち止まると、女性はさっとチラシを差し出して言った。 「ケーキ、いかがですか」  御手洗が目を落としたチラシには、様々なホールケーキの写真が掲載されていた。 さっき鼻で笑った販売促進運動に引っかかったようだ。  仮にも御手洗に家族と呼べる存在があれば、チラシの一枚くらい受け取ったかもしれない。 しかし、 「いえ、結構です」  御手洗は三十歳を目前にして、未だ『彼女』と呼べる人間がいない。 会社はおろか、人生設計まで泥塗れなのだ。 故に、無愛想に断りを入れて、そそくさと逃げるように歩き出した。  去り際、女性の表情に曇りが見えたような気がしたが、御手洗はこの場を離れることだけを考えていた。  それから数分後、御手洗は再び立ち止まった。 今度は声を掛けられたのではない。 歩道に薄く積もった雪の上に、何かが落ちているのを発見したのである。 「……何だ、これ」  興味本位で拾い上げたソレは掌に収まるサイズで、長方形をした木箱であった。 塗られていたであろうニスは剥がれ、本来の光沢が失われていた。  少し重みがあり、軽く振ってみたが音はしない。 気持ちとしては寄木細工の秘密箱を開けるように、御手洗は箱をいじってみた。  するとものの数秒で、箱の天板に該当する上蓋が外れたのだ。 知恵を要する秘密箱とは無縁の箱に落胆する御手洗だったが、箱から突然にして音が流れ始めるや、興味が去来した。  箱の正体は、小さなオルゴールだったのだ。 「見上げてごらん夜の星を、か」  原曲よりゆったりとしているが、それ故に、シリンダーのコールを弾く音が心地の良い温かみを生んでいた。 そんな雪が音を消したような静寂に鳴る音色とメロディは、御手洗の荒んだ心に(とろ)けていった。  すると御手洗は、頰に温かいものが伝うのを感じた。 手の甲で拭っても、また直ぐに温もりが伝った。 「どうしてだよ……チクショウ」  涙が溢れないよう、御手洗が空を仰ぐ。  どこまでも広がる冷たい夜空には、まるで水彩絵具の筆を振ったように、白く輝く星が散らばっていた。
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