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 あの頃の衝動はどこへ消えたのだろう。 「行ってきます」  背中にギターケースを抱えた青年──青木(あおき)は、数日後にクリスマスを迎える夜の街に繰り出した。  事前に決めていた、イルミネーションの輝きを見渡せる位置にシートを敷き、あぐらをかいた。 ギターケースからアコースティックギターを取り出し、構える。 青木は手慣らしに適当なコードを弾いた。 郷愁的な音色が、薄雪の積もる歩道に震える。  青木は物心つく前から音楽に触れていた。 特に、オリジナル曲を作ることを好みとしていた。 そのため、将来は歌手になるのだと揺らがなかった。  高校はわざわざ軽音楽部のある所へ進学し、ギターボーカルとしてバンドを組んだこともあった。 文化祭では温め続けてきたオリジナル曲を披露し、その時に浴びた歓声は青木の脳裏に、歌手としての確かな印象を刻んだ。  ──刻んでしまった、と言うべきか。  ひゅっと、冷たい風が吹き付ける。  あの時の歓声はもう聞こえない。 ステージから見下ろした景色は、今では薄汚れた歩道と化している。 高校卒業と同時にバンドは解散した。 所詮、他のメンバーにとって部活は部活のままだった。 情熱を注いでいたのは青木だけだったのだ。 生徒の歓声も、物珍しさが影響を与えただけ。 歓声が一生治らない傷となり、青木を苦しめた。  それでも路上に出て歌い続けるのは、歌手になる夢を諦めきれないからだ。  青木の前を通り過ぎていく人々は物珍しそうに一瞥をくれるが、誰も立ち止まってくれない。 たまに立ち止まる者がいるかと思いきや、罵声を浴びせられてしまうこともある。  だがしかし、青木にとってそんな通行人の様子は、すっかり見慣れた光景だった。  だからこそ、青木は奥歯を噛み締めるのだ。 「違ェんだよ……っ」  観客が会場を埋め尽くす景色ではなく、果てしない寂寥で埋め尽くされた景色を見慣れてしまっている。  音楽の道を諦め切れないのに、現実が諦めさせようとしてくる。  時折我に返ってオリジナル曲を見返せば、何番煎じかも分からない薄っぺらい歌詞と、聞き覚えのあるようなメロディばかりで、歌うことで他人に何を伝えたいのか不明瞭だ。  これではただの趣味。 音楽で食っていくのは到底無理だ。  これまでに何度も同じ負のループで苦渋を舐めて来たが、その都度無理やり()じ伏せてきた。 が、いよいよ限界に近付いていた。 「……帰っか」  歌いたい曲の歌詞と、胸裏に芽吹く感情が齟齬を起こしていた。 到底続けられる気がしなかった。  青木はギターを片付けるために腰を浮かせると、斜め前に設置された電話ボックスの床面に、何かが置かれていることに気が付いた。 「落し物か?」  この近辺に交番は無い。 加えて、端から青木に興味を示さない輩が自分を咎めることは無いだろう。  興味本位で近付いた青木は、ボックスの扉を開け、手に取ったソレを眺めた。 「箱……みてェだけど」  丁度箱を横に二等分する形で線が入っており、青木は片方を掴んで上に持ち上げてみた。 置き去りにされていた割には、不用心に上蓋が外れ、中身が露わとなる。  珍しい硬貨でも納められているのかという青木の期待はしかし、流れ始めたオルゴールの音色によって打ち消された。 「へえ、懐かしいな」  青木はオリジナル曲を制作する傍ら、腕が鈍らないよう既存曲を弾いていたことがあった。 この『見上げてごらん夜の星を』は、そんな既存曲の一つだった。  懐かしさを覚えるや、無性に弾きたくなってきた。  オルゴールを元の位置に戻した青木はすぐさまギターを構え、狭い部屋の中で必死になっていた頃を思い出しながら歌を紡いだ。  この曲は幸せを願う歌だ。  誰だって幸せになることを願っているのに、現実は可愛く無いもので、ややもすれば不幸になることばかりを並べ立てる。 あまつさえ大きな夢を見る者に対しては顕著にだ。  だからこそ、この曲を歌う者は寄り添わねばならない。 不幸に塗りたくられて、将来が見えなくなった者の光となるように。  青木自身この曲を歌っている最中は、第三者として自らに寄り添ってあげていた。 ひどく心地が良かった。  曲を歌い切り、今一度辺りを見渡した青木の視界には、数人の観客がいた。 青木が呆然としていると、次に拍手が沸き起こる。  瞬間的に、文化祭の光景が飛び込んで来た。  ステージ上に立つメンバーへ向けられた、歓声や拍手。 一度失った光景が今、目の前で広がっているのだ。  青木は続けて別の曲を披露しようと試みたが、込み上げる激情が言葉を震えさせて上手く歌えなかった。  結局、その日は一曲だけの披露となった。  青木は観客にお礼を述べ、また聴きに来て欲しいと付け加えておいた。 ギターを片付け、それでは帰ろうかというところ、 「君、ちょっと良いかな」  一人の男性が、青木に声を掛けたのだった。
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