2杯目

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「帰らなきゃ……」  お願いだから、もう帰してほしい。  適当な理由をつけて帰ろうとしたが、しかし杏莉がそれを許すわけがなかった。 「何言うとんのや、菜摘くん主役やで?」  どうしたら、帰してくれるんだろう…。  苦しくなる胸を押さえながら俯きがちになっていると、杏莉は頬杖をつきながら菜摘の顔を覗き込んできた。 「そんなんじゃあかんでぇ。歓迎会を楽しめん菜摘くんにぃ、とっておきの楽しい気分になれる『おくすり』あげたるわ」  そう言った杏莉の手元には、なにか細長いものが握られていて……。  それが注射器だと理解するのに、時間はかからなかった。  針の部分がきらりと光って、菜摘の心が慄然する。 「も……もう帰る、やだ、お願い、無理っ……」 「だーいじょうぶやで。ウチのお気に入りなんよ。めっちゃヤバいから、一緒にヤろ?」  隣にいた男が、菜摘が立ち上がれないように太腿を押さえてきた。  男に触れられた途端、身体がそれを拒絶し、反射的に振り払おうとしてしまう。しかし、小柄な菜摘がそれに敵うはずもなく……  頭を掴まれ、そのままソファーに『ガンッッ』と顔を思いっきり打ち付けられてしまった。 「っぅぅ~~!」 「ほらぁ、大人しくせんと痛いだけやでー」 「いやだ、いやだ、いやだ! 離してってばあ!」  暴れてみても、びくともしない。  ただただ焦りが生まれるばかり。  相手がSubならグレアを放てば、突破できるかもしれない……でも、グレアのコントロールができない菜摘には無理な作戦だ。  パニック状態の菜摘に対し、杏莉は「なあ、」と落ち着いた声で話しかけてきた。 「菜摘くん、弟おるんやって?」  ピタリ。  菜摘の身体の動きが止まった。  否、止められた、というのが正しいだろうか。 「或斗くんって言うんやろ? かわええやん。ウチああいう子も好きなんよねー」  杏莉の言葉に、菜摘は呼吸の仕方を忘れた。  脅されてる。  杏莉は100を言わないけれど、『菜摘が言う事を聞かないのなら、或斗に手を出すぞ』ということだ。  菜摘は抵抗を止めて、身体を起こした。  身体の震えは、止まりそうにない。  怖いし、逃げたいし、どうしたらいいか分からないけれど……  杏莉のことだけは、怒らせたら駄目だ。  袖をまくって、腕を晒す。二の腕までしっかりまくったけれど、自分でもわかる程、震えが止まらない。  ふー、ふー、と息を必死に吐きながら、ぎゅっと拳を握った。すると「イイコにできるやんか」と杏莉が注射器を片手に、菜摘の腕を掴んでくる。  菜摘は、恐怖のあまり目をしっかりと瞑ったのだった……。
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