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「こんなこと言うてたって、カゴメくんには言わんといてや。ウチが独占欲強い女みたいで嫌やもん。言ったら承知せぇへんで?」
強い口調に威圧され、菜摘はただ頷くことしかできなかった。
こんなにも女の人が怖いと思ったのは初めてだ……。
杏莉はその後、店頭から声がかかってバックヤードから出て行った。
菜摘は部屋の隅っこに立ち尽くしながら、杏莉に言われたことを頭の中で整理していく。
そして、カゴメに対して恋愛感情を持ってはいけない、と自分に言い聞かせたのだった。
数分後、仕事を終えたカゴメがバックヤードに入ってきた。
「おまたせ」と優しい笑みをくれるカゴメに、菜摘の胸がぎゅっと苦しくなったのを感じる。
こんなに優しくしてくれてても、彼の恋人は杏莉なのだ。
勘違いしてはいけない。
今思えば、カゴメはみんなに優しくて、いつも笑顔だ。
(僕は、特別じゃない。浮かれちゃダメだ……)
杏莉には色々口止めされたけど…でも、少しくらいなら、彼女の話題をしてもいいだろうか。
菜摘は恐る恐る口を開いた。
「……か、彼女、いい人?」
一瞬、カゴメがキョトンとして…それから「ああ、杏莉ちゃんのこと?」と言い、頬を緩ませる。
「あの子は、明るいし元気だし接客も上手いから、お客さんからも人気なんすよ。なっちゃんにとってはお姉さんって感じっすかね」
杏莉を『お姉さん』と形容したのを聞いて、カゴメにとって菜摘は弟のような存在なのだ、と確信してしまった。パートナーにはなれたけど、結局、子供扱いなのだ。と再び気持ちが落ち込む。
そんな菜摘の気持ちを知る由もなく、カゴメは帰り支度をしながら話を続けた。
「なっちゃんも気軽に『杏莉ちゃん』って呼んであげてね」
杏莉相手に『気軽』なんて難易度が高いけれど……
変な心配をされたくなくて、菜摘は「うん」と返事をしたのだった。
*
菜摘には、双子の弟がいる。
名前は、或斗。
同じ私立中学に通っており、普段は登下校を共にしていた。
だけど互いにパートナーができてからは、下校時刻になっても待ち合わせることはなくなった。
少し寂しいけれど、家に帰れば会えるし、パートナーに時間を割くのは自然なこと。
だから、別に不満はなかった。
帰宅すると、或斗はいつもパートナーの話をする。
朝比 美津也、という高校3年生のヤンキーで、カゴメの先輩だ。
「今日、美津也さんとね、」と嬉しそうに頬を赤らめる或斗の話を聞いていると羨ましく思う。同時に、朝比に大事にされているようでよかった、と安心した。
相槌を打ちながら或斗の話を聞いていると、突然「菜摘は?」と名前を呼ばれた。
「……え?」
「何かないの? カゴメさんの話とか」
「かーくんのはなしねー……」と語尾を伸ばしながら、思考を巡らす。
カゴメとはただのパートナーであって、恋人じゃないし。
彼には、杏莉という彼女がいるみたいだし。
その杏莉に目を付けられちゃったみたいで、困ってる。
……なんて、幸せ真っ最中の或斗には、言えなくて。
「なんも、ないかな」
余計な心配は、かけなくていい。
そう思って、菜摘は或斗に笑顔を向けたのだった。
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