283人が本棚に入れています
本棚に追加
心が、酷く沈んでいる。
その日は、放課後になっても教師の言葉が頭から離れなくて…、菜摘は癒しを求めてカゴメのお店へと向かっていた。
生徒会の仕事もあり、学校を出たのは遅い時間で。もう空が藍色と橙のグラデーションに染まっている。
会えるだけでいい。
声が聞けるだけでもいい。
忙しそうなら、姿が見れるだけでもいい。と思っていた。
最寄駅から徒歩5分ちょっと。
大きな通りから少し奥に入ったところにあるアクセサリーショップ。
今日もキラキラと輝くシルバーアクセサリーが店先に広げられていた。
「や、菜摘くん。カゴメのお迎えかい?」
店先から中を覗いてみると、そう声をかけられた。
声の主は、このショップの店長:帆塚である。
赤い短髪と首元から見えるタトゥーの所為でかなり怖い印象だが、身内に優しい彼は、菜摘にも笑顔で接してくれていた。
「約束はしてないんですけど、寄ってみました。……まだ居ますか?」
「ああ、バックヤードにいるよ。杏莉ちゃんも一緒さ」
ドキ、と。
その名前を聞いただけで緊張が走った。
帆塚に悟られないよう「そうですか。」と平常心で答える。
「バックヤード、入っていいからね。俺はレジから離れられないし、菜摘くんはウチのスタッフみたいなもんだから」
レジはお店の出入り口のところにあって、バックヤードは奥。
御自由にどうぞ、というスタイルはかなり歓迎されているようで嬉しい。
でも『中学生がバイトをしてる』とか誤解を招いて、学校に通報されたら嫌だな。
……なんてことを思いつつも、菜摘はバックヤードに向かった。
ドアノブに手をかけて、こっそりと中を覗いてみる。
「ッア! あかん!!」
途端、杏莉の声が聞こえて、菜摘は動きを停止させた。
その声が自分に向けられているのかどうかわからなくて、思わず息を潜める。ドアは隙間しか開けられず、誰の姿も見えないのだが……しかし杏莉の声が再び聞こえてきた。
「ンっ……ふ、ぅぅ…あっ、ああっ」
今度は、かなりハッキリと甘い嬌声が聞こえて。
「そんな声出しちゃ駄目っすよ。我慢して」
カゴメの優しい声が、杏莉を諭しているのが窺える。
すると、杏莉は甘えたような声で「だってぇ」と語尾を伸ばした。
「だって怖いんやもん、ああっ、待って、あかんってぇ」
「嫌ならやめるっす」
……なにをしてるんだろう、なんて。
考えなくても分かった。
考えたくもなかった。
恋人同士が、ふたっりきりですること。
そんなの、ひとつしかない。
「だいじょうぶ、やめんで……っ」
「じゃ、いれるっすよ…?」
嫌だ。
嫌だ。
こんな甘い声、聞きたくない。
(嫌だ、こんなの)
聞きたくないのに、この場から動けない。
杏莉の熱い吐息までもが、菜摘の耳に届いた。
「逃げちゃだめっす。動かないで」
「ひ、んぅッ! ン、痛、ぁあーー〜〜ッ!」
我慢する気なんてない、アダルトな声が響く。
もう、手の震えが止まらなかった。
胸が苦しくて、息ができなくて。
ここにいることに限界を感じた菜摘は、音を立てないように速かに扉を閉め……帆塚に「忘れ物したので帰ります」と早口でいいながら、全速力で走り出したのだった……。
最初のコメントを投稿しよう!