1.症状

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1.症状

「合計8点で、1740円になります。」 週末の夜、いつも会社帰りに立ち寄るコンビニエンスストアで、食べたくもないお菓子と菓子パンを買い込んだ。 ‟美味しそう”という食べ物に対する社交辞令の感情など一切なく、普段我慢している食べ物をカゴに放り込んで、恥ずかしい気持ちを抑えながらレジで会計を済ませる。金曜日の日課だ。この時の私の気持ちを敢えてカギカッコで表現するとすれば、「早く会計を済ませてくれ。私に丁寧な接客なんてしなくていい。今すぐ家に帰って胃に詰め込みたいのだから。」こんな感じだと思う。 「2000円でおねがいします。」 この会計の間にデリバリーでピザも頼んである。食べるのはもちろん私だけ。 コンビニで買ったものだけでは足りなくなることがある。おなかいっぱいだけど、この程度では終われない。っともっと胃を苦しめなければ。言いたいことも素直な感情なんかも全部飲み込むためには、この程度の量では全然足りないのだ。何年もこうやって過ごしている。 次の日仕事がないとなると、こうせずにはいられない。食べ終わるころには苦しくて苦しくて吐きそうになっている。嘔吐恐怖症のくせに。なぜかこの‟自分いじめ”をやめることができない。絶対に後悔するってわかっているのに、こうせずにはいられない理由が私の中にはあるのだと思う。 アパートにつくまでの間にチョコレートを1箱食べきっていた。もう後悔している。ただ、目の前にある食料を食べきらないことには今日の私は満足しない。今日も満足しない。そのことだけははっきりとわかっていた。 ‟やっぱり、別の心療内科に行った方が良いのかもしれない。”胃が食べ物で苦しくなると、毎回そうやって病院を調べている。通院中の病院もあるし、そこでお世話になっているカウンセリングの先生も、相性は悪くはない。問題なのは、変化がないということ。悪くならないだけいいかもしれないが、現状維持は一番苦しい。 ‟摂食障害 心療内科 有名”‟摂食障害 入院”‟過食 治したい”検索履歴にはあてもなく同じ言葉が並べられるのだ。そしていつも検索する前にその言葉たちは消されてしまう。一文字ずつ丁寧に、同じリズムを刻みながら消されていく。 どうせ良くならない。 私のその気持ちが、救いの言葉たちを消し去ってしまう。
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