4.尚親と通孝

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(あの凶手、追うのを諦めたか?)  放たれた弓を頭で数え直す。携帯できる矢はまだあるはずだ。追ってくる可能性の方が高いだろう。夜中のうちに歩を進めてくるだろうか。この山中には危険な獣もいる。夜闇の中を闇雲に動けば、向こうだって命の危険があるはずだ。  それにしても、凶手は一体誰の手の者なのだろうか。それは先程尚親も口にしていた疑問だった。この件の首謀者は誰だ? 『……ひいては今川領の誰にも助けを乞うな。弟の尚満もじゃ!』  当主の言った言葉を思い出す。もし父の軍勢が間に合わず、尚盛様が賊に討たれたとして、尚親様が無事上地谷から抜けたとしたら、次の上地の当主はどうなる? (まさか尚満様が!?)  しかし上地兄弟が仲違いした話など、聞いたことが無かった。逆に仲の良い兄弟だとしか……だからこそ尚親は、叔父である尚満の娘の雲珠姫(うずひめ)と婚約する運びになったのだ。 (いや待て。そもそもこれは、雲珠姫様との婚約が決まったのが原因か?)  そう考えると、婚約が決まっていたからと言って尚満が首謀者では無いとは言えなくなってくる。尚親が上地から去ることで、結局は白紙に戻ってしまうのだから。  しかし何かがしっくりこない。しっくりこないと言えば、寝所へ辿り着いた時の尚盛様の第一声もだ。 『……通孝!? お主、何故ここに居る!?』 (あのご様子、少し驚き過ぎではないか?)  自分は尚親様の守役だ。主君の危機に真っ先に馳せ参じて、おかしい事など一つも無いはずだ。それが意外だとすれば何だ? (拙者が……賊だと思われていたのか?)  そう結論づけてくすりと笑う。こんな若造の自分が、そのような脅威を企てる人間だと思われるはずがない。あるとすればそれは父のような…… (まさか尚盛様は……父が謀反を起こしたと?)  それで父の息子である自分が、真っ先に尚親の元へ参じたのが意外だったとしたら、一応の筋は通る。しかし父は城下の異変に気づき、すぐに城へ行けと命令した。父のおかげで今こうして尚親様を守れている。 (そんなことがあるわけがない! あるわけはないが……)  今この山中に居るのは、尚盛様の機転のおかげだ。 『上地家内、ひいては今川領の誰にも助けを乞うな』  そう言われて加野家には戻らずに今、こうしてここにいる。もし尚親様を連れて加野家に一度戻っていたら、一体どうなっていたのだろうか? あの後父は、家臣を引き連れてちゃんと尚盛様を守ったのだろうか?  一度湧いた小さな疑念が、山中の暗闇と相まって不安を煽る。頭を左右にブンブンと振って考えを散らした。今は解決しようのないことを考えても仕方がない。  腿の上から小さく規則的な寝息が聞こえる。この小さな主君は、もはや上地の次期当主ではないのかもしれない。上地の次期当主でなければ、命をかけて守る必要も無いのではないか……いや、違う。 (尚親様が今頼れる者は、この通孝だけ。主君が必要とする限り、尚親様をお守りするのみ)  改めてそう決意すると、瞼を閉じてじっと夜が明けるのを待つのだった――
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