2.上地谷の異変

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2.上地谷の異変

 ある日の夜更け。それは降って湧いたように起こった。  そろそろ(しとね)に入ろうという頃合いになって、加野家の屋敷中に響き渡る音量の「通孝(みちたか)!! 通孝はおるか!!!」と叫ぶ声がした。通孝は急いで起き上がり、自室から廊下へ飛び出す。 「父上? どうされました」 「あぁ、通孝。まだ起きておったか! 今すぐに本丸へ行き、尚親(ひさちか)様をお守りせよ。城下で怪しい賊を見たという者がおる。賊は城へ向かったらしい」 (賊!?) 「(わし)も家臣を集めてすぐに城へ向かう。その前に何としてもお主は、尚親様をお守りするのだ」 「承知しました!!」  通孝はすぐに着替えて帯刀すると、本丸へ走った。  この上地谷(かみぢのや)には上地谷城(かみじのやじょう)という城があり、代々上地家はこの領地をこの城で治めている。城の本丸に建つのが上地家当主の屋敷――上地屋敷(かみぢやしき)だ。  加野家は上地の家老として高い地位にあるので、城下のどの武家屋敷よりも城に近い場所に屋敷を構えている。さらに言えば、十七という歳を迎え立派な青年に成長した通孝の脚力では、異変の報を聞きつけて城に辿り着いた家臣の中では恐らく一番乗りだったはずだ。 「これは!?」  いつも夜中は締まっているはずの木製の城門が開いており、中から現れたと思われる下男がそこに倒れていた。身体を揺すってみるが返事は無く、心拍を探ろうと胸元に手を置くと、手の平はぐっちょりと血まみれになる。 (大変だ!!!)  ここ近年、小競り合いもなく平和だった上地谷としては、城に賊が入ったなどと(にわ)かには信じ難い報だったが、この状況が父通好(みちよし)の思い過ごしではないのを物語っている。大胆にも門から侵入していることから、賊は複数人いると推測された。  これは大事が起きている。そう理解した通孝は、本丸の尚親の居室までの最短距離を全速力で駆けた。 (間に合ってくれ!! どうか尚親様、ご無事で!!) * * *  既に就寝していた尚親は、突然耳をつんざくような女の悲鳴で覚醒した。上半身を起こすと、次は男の「うわぁぁああああ!!!」という声も聞こえる。  闇夜に悲鳴だけが轟く。その異常さに手足は震えたが、それと同時に寝床に置いてあった刀を腰に挿す冷静さも失くしてはいなかった。その刀は最近果たした元服のおりに、父であり上地の現当主である上地(かみぢ)尚盛(ひさもり)から拝領したばかりの刀だ。 「ひ、尚親様! 起きてらっしゃいますか!?」  襖の外で女の声がし「起きている」と答えると、見慣れた女中が慌てた様子で入室してきた。母“あさの”の侍女である。 「賊でございます。今家中の者が応戦しておりますが、尚親様はお逃げくだされ!」 「母上は!?」 「あさの様はご無事です。必ずお守りしますので、どうか!!」  幼いながらにも、何故この侍女が今ここにいるのかを一瞬で理解した。母あさのは、自らを顧みず我が子の元へ「自分には構わずここから逃げよ」と、この侍女を使わせたのだと。
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