呱々の声、形有るもの

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 異臭がする。廃墟の中というよりは建物そのものに染み付いた臭いだ。焦げた臭いでもある。腐敗した臭いでもある。おそらくはきっとここでしか存在していないであろう臭いが建物から滲み出ており、周りには雑草一本生えていなかった。まるでそこだけくり抜かれたかのように剥き出しの土が残された建物の周りを覆っていて、ちょうど結界のようにも感じられる。踏み入れようとする者を拒絶するのだ。 「……ここか?」  車のドアを閉じると、月岡はポケットに両手を突っ込んだまま枯れ葉を踏みしめて正面へと進んだ。ガラスの破片がわずかに付着したままの扉が地面の上へ倒れており、洞穴のような黒で塗りつぶされた入口が大きな口を開けている。少女はこのガラス片を食したのかもしれない。 「間違いありません」  吉良はお土産を大事そうに助手席の上へと置いて月岡の横に走り寄っていった。ここへ来るのは三度目だが、日常から隔離された異様さがピリピリと肌の表面を刺激する。見上げれば、以前はあったはずの二階の窓も全てがなくなっていて入口と同じようにぽっかりと大きな穴が開いている。外観からは何の施設だったのかは判別できなくなっていた。 「思った以上に異常な場所だな。これまで通ってきた森の中と比べて、空気が違い過ぎる」 「澱んでるのよ。目には見えなくてもね。虫や動物ですらここへは近寄らない。ここはね、そういう場所なの」  沙夜子は月岡の後ろで立ち止まった。大きな背中が沙夜子の姿をすっぽりと覆い隠す。月岡はすかさず振り返ったが、何も言わない沙夜子に舌打ちをした。痺れを切らしたのだろう。 「なんだよ」 「どいて」 「ああ?」 「いいから、どきなさい」  なぜか強情な沙夜子に月岡は道を譲った。イライラを解消するためかタバコを取り出そうとするも、その手を沙夜子にはたかれる。 「おい! なんなんだ!」 「臭いがわからなくなるでしょ。感覚を鈍らせたくないの。ここからは人間の領域じゃない」  何も言えないでいる月岡を押しのけて入口へ向かって歩み始める沙夜子の後ろ姿はいつものそのままだった。蓄積されているはずの疲れなど無いかのように伸びた背筋を崩さずに一歩一歩着実に進みゆく。  その歩みが入口の手前ではたと止まった。 「行くわよ」  夜などよりもさらに深い暗闇の中へと沙夜子の全身が入っていく。腕、脚、頭と地面に伸びた黒影ごと吸い込まれるように。気がついたときにはもう沙夜子の姿はこちら側にはなかった。  タバコが雑草の上へと落ちてゆく。 「おい、なんなんだ、この感じは……廃墟とか心霊スポットとか、そんなんじゃねぇ。……ここで、いったい何が起きたっていうんだ」 「何も起きていません」 「あぁ!?」 「二度の火事で全焼。公式の記録にもそう書かれていますが、これは噂を元にして書かれたものです。みんなが知っているから書き記されていますが、全ては噂。そして、それ以外のことは何も起きていないことになっているんです。火災の原因もわからないし、経営実態も治療記録も何も残っていない。あえて記さなかったのではなくて記せなかった。つまりは形有るものから形の無いものへ、人々の記憶の淵から零れ落ちた何かが起こった。ここは、そういう場所の一つです」  吉良も中へと入っていく。その後ろを追いかけるようにして月岡も侵入していった。
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