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沙夜子はしゃがみ込むと、しばらく手探りで暗がりの中を動き、ほとんどタイルが剥がれた床に落ちていた月岡のライターを拾い上げた。
「もちろん火の灯りに反応したのよ。ここには無いものだから。だから言ったでしょ。タバコを吸わないでと。ただでさえ何が起きるかわからないのだから」
ライターは月岡の手へと手渡される。月岡はしっかりと受け取るとすぐさま胸ポケットに仕舞い込んだ。いつもなら小言でも言うところだろうが、今は何も言葉を発しなかった。
「……沙夜子さん、見ましたか? 今の顔の作り」
「ええ、赤ちゃんの顔だった。一瞬の錯覚とかではなくハッキリと。急がないとマズイわね」
「……マズイって何が、これ以上何があるって言うんだ!」
月岡の声が上擦る。表情を確認するために顔を覗き込めば、余裕はまるで失われており顔が強張っていた。
「落ち着いて。そんなに心が乱れていれば、適切に対処できないでしょ」
大きく深呼吸する音が聞こえた。
「……わかった。もう大丈夫だ。悪いな、覚悟が足りなかった。教えてくれ。何がマズイんだ?」
「形が完成しつつあるということ。椿さんだっけ? この元凶をつくったその人が餓鬼に取り憑かれて人を襲うようになったのも、自分の形を認識し始めたからだって吉良は言っていたけど、こっちでもね同じような症状は現れ始めていたのよ」
沙夜子はそのまま話を続けた。最初は指示に基づき理性的に振る舞っていたはずの人達が、漂う臭いが強くなっていくのと比例するように次第に言葉を失くし、行動に異常が見られるようになったこと。そのうち制止がきかずに暴れるようになった人もいたこと。その現象は鬼救寺だけでなく搬送された病院でも起こったこと。
「亡くなったあの子の様子、覚えてる? 鎮静剤を打たれて眠らされて。病院ではみんなああいう状態にするしかなかった。緊急的に最上階の病床は、餓鬼憑きの患者の専用フロアにして対応している。強制的に眠らせて、栄養はチューブから送り込んでなんとか命を保っている状態よ。妖を何度体から追い払ってもまたすぐ取り憑かれてしまう。形が生まれ、力が増してきている」
あの病室で沙夜子の陣の力によって姿を現したのは、この世界になんとか繋がっている不定形の妖だった。それが人に取り憑き、増殖し、成長していくことで自らの形を生み出そうとしている。
「赤ちゃんが自分の力で産道を通り産まれてくるのと一緒。今、一人の妖が誕生し、自分の力で動き始めようとしている。そうなれば影響は飛躍的に大きくなる」
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