神の資格は、相思である

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 よく晴れた、弥生も終わりのころだった。  風は穏やかだけれど、空気が冬の装いに逆戻りした午後、あたしは愛用の綿入れ羽織を重ねて、御神木の大杉の枝に腰かけ、このあと行われる祈祷のはじまりを待っていた。  人間の中には、この木の花粉にめっぽう弱い者がいるらしい。ここの宮司もそのうちの一人だ。さすがに御神木であるこの木をどうこうしようって気は無いみたいだけど、マスクをした参拝客は皆、恨めしそうな目で大杉を見上げている。 「あーあー、この上に神がおわすっていうのに、なんて罰当たりなんだろうね」  あたしはわざと枝を大きく揺すってやった。  たいして散り広がらない黄色い花粉の渦を見つめて、あたしはため息をつく。  梅の香りは消えて、入れ替わりに鳥居そばの桜の蕾がずいぶんふっくらとしてきている。 「もうすぐ春だねえ」  あたしのつぶやきも、花粉とともに宙に紛れる。  羽織をかき合わせた爪先は、境内の片隅でひっそりと散る梅の花よりも、やがて頭上いっぱいに咲き誇る桜の花よりも鮮やかな紅。こまめに塗り直しているから、きれいなままだ。  あたしはまたこの社と共に、春を迎えることになるのだ。  拝殿は巫女が入れ代わり立ち代わり騒がしかったけれど、ようやく静かになった。祈祷の準備が整ったのだろう。  誰の目に見えるわけでもないけれど、身なりは整えてこないと。張りきらない気持ちで立ち上がろうとし、ふと、あたしは顔を上げ、正面の階段へと目をやった。  暗く澱んだ気が上がってくる。きな臭い、嫌な空気。あたしは大杉の花粉を吸った人みたいに鼻にシワを寄せ、鳥居の向こうを見つめた。 「……なんだ」  正体はすぐに知れた。  よくお参りに来る子だ。名前は智貴。いっつもおばあさんと一緒にお参りに来ている。とはいえ、あの子自体は仕方なくついてきてるだけで、熱心にお参りしているってわけじゃない。もう少し大きくなったら、きっと来なくなるに違いない。  でも、あの澱んだ気はなんだろう。表情はとっても暗い。いつも、どれだけつまらなさそうでも、あんな顔をしていたことは一度だってなかった。  智貴は鳥居をくぐったところで、ためらったように足を止めた。誰かを待っている雰囲気でもない。気にはなるけど、あの子にはあたしの姿は見えないし、声も聞こえない。  どうしようかと思っているうちに、宮司が独りでいる智貴を見つけ、声をかけた。 「平野さんとこの……ええと」  必死で名を思い出そうとしている宮司の背に向かって、「智貴だよ」とあたしはつぶやく。 「智貴です」 いつも以上に面白くなさそうな顔で、智貴は言った。 「そうだ、智貴くん。今日は平野さん……おばあちゃんは一緒じゃないのかい?」  智貴の顔が一瞬、くしゃりと歪んだ。智樹に漂う澱んだ気が濃くなった。その不穏さを吐きだすよう、智貴が言った。 「おばあちゃん、この前階段から落ちて怪我したんだ」  宮司の顔が曇る。あたしのくちびるもきゅっと引き締まった。
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