神の資格は、相思である

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 あたしは手元に積んだ教本のてっぺんを、ぽんと叩いてみせた。書きこみだらけ、手垢とめくり癖だらけ。たった数か月の付き合いだってのに、歴戦の強者みたいにぼろぼろだ。  尚鋭は驚き顔のまま、ちらと窓の外へ目をやる。 「まさに蛍雪の功だな」 「何それ」 「人の世界の言葉だ。雪や蛍の灯りで勉学に励んだという故事に由来する」 「あたしはちゃんと灯りつけてたよ」 「そうじゃない。……もういいよ」  尚鋭は肩を落とし、軽く首を横に振った。  その首から下げた、神である資格を持つ証の【顕札】には牡丹の花が彫られている。あたしの今一番欲しいもの。縁結び一級を持つ者だけが身につけることを許される、魅惑の証。  尚鋭はとうの昔に縁結び一級を取得して、今では県内でも有数の神社で縁結びの神として勤めている。あたしだって負けていられない。次の試験こそ、必ず合格してみせるのだ。  物欲しげに見つめていたのがばれる前に、あたしは尚鋭の胸元から視線をはずした。 「しかし驚いたな、ちっとも知らなかったぞ」 「内緒にしてたんだもん、当たり前よ」 「しかし、どうして今さら縁結びの資格なんて」 「だって家内安全なんて地味だもの。やっぱり、誰もが憧れる御利益といえば縁結びよね」  胸の前で両手を合わせ、あたしは今も心に焼きつくあの光景をなぞる。  ずっとずっと昔、尚鋭と一緒に、とある縁結びの御利益で有名な神社を訪ねたことがある。まだふたりとも資格になんて縁のない、八百万の神の末端にいたころだ。  数多の人々が一心に祈る前に鎮座する、縁結びの神にふさわしい華やかな姿の神様。くちびるも爪も鮮やかな紅に塗られ、きれいで豊かな髪は滝のように背中へこぼれていた。  笑顔を絶やすことなく、次から次に押し寄せる想いや願いを受けとめる、その気高さ。  あたしはまばたきも忘れて、隣にいる尚鋭のことも忘れて、ずっとその神様を見つめていた。  満ちる、恋の成就を願うかぐわしさ。吸いこむだけでこちらの胸まで甘く潤う、素敵な空気。そしてその願いを受けとめ、祈る――あれこそ、あたしの目指す神の姿だ。ここを訪ねたことは運命だったのだと思えた。 「あたし、縁結びの神になる!」  息巻いて宣言したあたしに感化されたのかなんだか知らないけど、尚鋭まで縁結びの資格を取るなんて言い出したことは、いまだに大きな謎だ。  うっとりと美しい記憶にたゆたうあたしに、尚鋭はやや冷たい目を向けた。 「じゃあどうして最初から縁結びだけに注力しなかったんだ。あのとき、お前から次の試験は受けないと聞かされて、どれだけ驚いたか」 「そりゃあ……さ」  あたしは言葉に詰まる。縁結び一級を諦めて家内安全の神に収まった理由。それは尚鋭にはもちろん、他の誰にも言ったことがない、あたしだけの秘密だった。
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