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尚鋭の怪訝だった顔が元に戻る。
「だめなものか。またやる気になったのならいいことだ。今の務めを疎かにせぬのならな」
釘をさすのも忘れないのが、尚鋭らしい。
「大丈夫よ、そこは」
あたしはそっとあくびを噛み殺し、
「……それより何の用? あんたこそ油売ってる暇なんてあるの? そっちはうちよりも忙しいでしょ、ほら、バレンタインデーが近いんだから」
如月の前半、節分やら初午が終われば各地の神社の忙しさも一段落するけれど、尚鋭の社は数年前から縁結びならではの催し物を行っている。人の世の慣わしで、二月十四日はバレンタインデーとかいって、チョコレートを好きな相手に贈って愛を伝える日らしく、それに合わせて限られた期間しか授かれない御守りだの恋御籤だの、商魂たくましい代物が盛りだくさんだ。尚鋭はあまり愚痴を言ったりする性質じゃないけれど、逃げ出したくなる気もわからないでもない。
「ははーん、忙しすぎて逃げ出してきたのね? で、あたしにかくまって欲しいと」
「雪が降っているのはここだけじゃないんだぞ」
尚鋭はあたしの冗談にお愛想笑いもせずそう言って、小さな瓶を差しだした。受け取った瓶はほんのりとあったかい。
「何これ」
「甘酒だ。賜りものだが、ひとりで飲むには多すぎてな。彩は甘酒好きだったろ」
「……ありがと」
確かに甘酒は大好物だ。だけどこんな雪の降る中、わざわざ持ってこなくてもいいのに。あたしがまごまごしているうちに、尚鋭は手ずから甘酒を椀にそそいで渡してくれた。
雪の中を旅してきた甘酒は少しぬるくなっていたけれど、飲むと身体がふわりとほぐれた。思ったよりも疲れてたんだなぁ。あたしはにっこりとし、一気に飲んでしまった。
「はい、ご返杯」
尚鋭の椀へと甘酒をそそぐと、尚鋭もごつい顔を緩ませておいしそうに飲んだ。
「ねえ、尚鋭」
「なんだ」
「縁結び一級取れたらさ、お祝いしてね」
と、尚鋭が軽くむせこんだ。甘酒が変なところに入ったのだろうか。
「……いいのか」
「は?」
「俺が祝って」
「いいわよ。もちろん」
変な尚鋭。硬そうな髪をむしゃむしゃと掻いて、しょっぱい顔で甘酒を飲んでいる。
空になってしまった椀には気づいてくれないみたいなので、自分で二杯目をつぐ。
白い甘酒のほのかな湯気が鼻をくすぐる。疲れがとろりとほぐれて、身体のすみずみまで真新しいやる気が満ちてきた。
「ああ、あったかい。ね、尚鋭、せっかく来たんだから、ちょっと勉強手伝ってよ」
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