最期に味わう、馴染んだこころ

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さいごに食べるのは、何が良い?問われたら、答えは随分と昔から決まっている。 味噌汁と、白米だ。漬物があったらもっと良い。そして何より重要なのは、ここだろう。 枕詞に、母の。が必須項目なのだ。 母の作った味噌汁(具材はワカメと豆腐、豆腐は木綿が良い)と母の炊いたあたたかな白米を食す。そうして死ぬのだ。 胃に優しいそれらを、もぐもぐと頬張り、一杯の茶を吞む。 やはり緑茶だろうな、それを呑んで手を合わせる。ご馳走様でした。 後は台所へ行き、食器を洗い、戸棚から先日研いだばかりの包丁を手に取る。 僕は三島由紀夫に憧れていた。 やるならば、古の武士のように、せめて、格好良く死んでみたい。 母の腹から生まれ、母の手料理で育ったのだから、さいごまで。 母の作った御飯は僕の血肉となって、それを僕は取り出すように腹を割く。 包丁など手にしたのは、学生時代の調理実習以来だが、まあ、なんとかなるだろう。 大丈夫、たまには自分を信じて、迷わず死んでみるのだって、そう悪いことじゃない筈。 僕は十分に頑張った。 頑張ったのだから、この胃痛に悩まされる日々に、さよならを告げた。誰に咎められることもないのだから。
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