金曜深夜のメッセージ

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 二杯目のコーヒーを入れるタイミングでヘッドフォンを外し、マグカップになみなみと注いで戻った時、文字通り声が耳に飛び込んできた。 「サッカーやってる人だったら、『ボールは友達』とか言うじゃん? あれみたいに、この前父親のクルマに乗ったら、ラジオで言ってたの。『ラジオは友達』って。で、速攻『それはねーだろ』って思った。だって、ラジオって『人』じゃないじゃん! ボールもそうだけど。だいたい俺みたいに運動神経がどっかに行っちゃってる人間に言わせれば『ボールが友達』っていうのも理解不能なんだけど……』  あは。おかしいな。十代の頃のおれみたい。ラジオが友達、ねぇ。思わず声に出してつぶやいたタイミングで、メッセージを読み終えたパーソナリティがしゃべり出した。 「『ラジオは友達』って、いかにもラジオ局のスローガンって感じ。メッセージをくれたきみにとって『友達』っていうのは、人間に限定されるんだね。同じクラスの誰かとか、近所の幼馴染のナントカくんとか、見るからに人の形をしていて、それにさわることができて、言葉や表情でコミュニケーションを取り合うことができて。っていうことだよね? いいんじゃないかな。で、運動が苦手なんだ。それ、僕も同じ。昔っからそうで、僕の場合は親がなんとかそれを克服させたかったらしくて、小学校の時に無理やりサッカー教室に連れて行かれたことがあったの。そしたらコーチが開口一番、『今日からボールはみんなの友達な! テレビ見てる時も、勉強する時もそばにおいて、さわって転がして、蹴ったりするといいよ!』って。言われた通りにしたら、母親にものすごい勢いで『そんなもの部屋に持ってくるんじゃないわよー!』って叱られて。結局、サッカー教室にもそれ以来行かなかったよ」  ありがち。母親って生きものは、「あんたのためなんだから」とか言いながら、「あんた」のやることを理解しようとしないフシがある。 「僕は小学校の頃は友達って呼べるほど仲の良い人がそんなにいなくて、父親の影響もあって小学校の高学年ぐらいから音楽を聴くのが好きになって。寝る時もラジオをベッドの中に持ち込んで聴いたりしてた。ラジオDJが話していることの内容もあんまりわかっていなかったし、流れている曲も知らない曲や初めて耳にするものばっかりだったけど、『たぶんこんなふうにラジオを聴いてるのって、クラスで僕ぐらいだろうな』って、妙な優越感を覚えたりして。今って、SNSとかでなんでもシェアする文化が大前提みたいになってるけど、僕はまったく逆で、誰にも踏み込めない領域を作ったり持ったりするのが楽しかったんだよね」  一瞬、ラジオの向こうでしゃべっているのは誰なんだと思うぐらい、おれの幼少時代そのもの。おれの場合は中学になってから音楽を聴くようになったけど、言葉や歌詞はわからなくても音やメロディに妙に心が弾んだり、悲しいような切ないような気持ちを覚えたり。そんなことがあるたびに、自分は教室のみんなが知らないもうひとつの顔を持っているように思えて、ひそかに楽しかった。 「……このメッセージをくれた、ちょっと運動オンチで『ラジオは友達』っていうほど親しんではいないけど、この番組を聴いてくれているであろうきみ。きみに贈りたい曲は、the pillowsというバンドの『ガールフレンド』です。これね、まさに小学校六年の頃だっけな、二段ベッドの上に兄貴が寝て、僕は下だったんだけど、いつも通り布団に潜り込んでラジオを聴いている時に流れてきた曲で。その頃からもう何年? 二十年は経ってるけどいまだに大好きでよく聴いてる。歌詞の話をすると、この曲に出てくる『僕』は、終電が行ってしまった後に『君』と一緒に線路を歩いて帰るんだ。なんか映画のワンシーンみたいで、今このトシになって思い描くとぎゅっと胸にクるんだけど、初めて聴いた時は全っ然ピンとこなかった。それで、『君』っていう人は『僕』が嫌っている流行りの歌をわざと口ずさんだりして、ケンカもしたりする。決して、仲が良いわけじゃないんだ。でも、その『君』が持っているささやかでわかりにくい優しさにふれることができたおかげで『僕』は今ここにいて、ひとりきりじゃないって思える。そういうことを歌ってます」  …………。 「過去形になってるってことは、年齢を重ねて大人になった今、かつての日々を振り返って書いた物語というスタイルをとっているのかなって考えられるけど、何度も言っちゃうけど初めて聴いた時はそんなこと気づきもしなくて、ただ『ひとりじゃない』って歌ったところがものすごく自分に響いたんだよね。それで、後になって『あぁ、もう一回聴きたいな』って。よくある、『ひとりで悩まないで!』とか、『君はひとりじゃないんだよ!』みたいな熱いスローガンを叫ぶわけでもなく、なんなら聞き逃しそうなぐらいさりげなく、ぽそっとささやくように歌ったところが、すごくグッときた。さっきも言ったけど、リアルではあんまり友達がいなかった僕にとって、そんなふうに歌いかけてくれる見知らぬ誰かの曲と声が、とてつもなく優しく感じられたし、変な言い方だけど、この曲を知っている僕はひとりぼっちじゃないんだって本気で思ってた。よく、好きな音楽を語る時に『音楽に救われた』という言い方をする人がいるけど、僕も間違いなくそれが音楽に救われた最初の体験だったと思う。ラジオから流れてくるものはなんでも雑多に聴いていたけど、その頃ぐらいから自分がいいなと思った歌を誰が歌っているのか調べたり、お小遣いを貯めて自分でCDショップに行くようになったりして、自分にとって音楽は聴くだけのものじゃなくて一緒に時間を過ごす友達みたいな感じになっていったのかもしれない。で、いちばん最初に自分に音楽を届けてくれたラジオも、自分にとっては友達みたいな距離感というか認識だったのかな。でね、もう一つ言っちゃうと、この曲の『君』っていう存在が、恋人とか彼女とかじゃなく、『ガールフレンド』だったことも自分にとっては刺さった。本当は彼女だったのかもしれないし、もしかしたら『僕』は好意を持っていたのかもしれないけど、踏み越えられないものを『君』が発していたのかもしれない。それは推測とか妄想でしかないけど、行間っていうのかな? 数行の言葉の羅列にいくらでも想像を膨らませたり、こうやって妄想したりできるのも、音楽の持っているいいところだよね。それは、きみからもらったメッセージも同じ。どんなふうに受け取るのか、解釈するのか、それは聴く人、読む人の数だけ正解があっていいんだから」 「今日は最後に長々と語り過ぎました」とパーソナリティが詫びを入れた後に、曲が始まった。自分も初めて耳にする曲だけれど、どことなく懐かしい感じと、たぶん十年後に聴いても今と同じ感覚で接することができそうな、時間の流れに紛れてしまわない芯みたいなものが柔らかな音の中に横たわっている気がした。
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