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 携帯電話が鳴っている。誰からかかっているか知っているので、無視する。電話は飽きずに長い間鳴りつづけて、止まる。一時間後、またしても電話がなりはじめる。同じく無視を決め込んでいると、鳴りやむ。  時間はいつも夜の9時頃、毎日決まって2回かかってくる。発信者は見なくてもわかっていた。 「着信拒否しないおれもどうなんだよ」  分かっている。本当はさっさと着信拒否して、電話番号ごと携帯をかえてしまえばいいのだ。  わかっているのに、どうしても出来ない。ひと月前に部屋を片付けたときだって、写真の一枚も捨てることができなかった。  電話が鳴るたびに、息が止まりそうになった。千葉がおれのことを考えながら、出てくれないかと期待しながら電話をかけているのだということが嬉しくて、出てしまいたいという衝動と戦うのがたのしくて、そんなことを考えている自分に落ち込む。  ベッドに横になって、着信履歴に並んだ名前を眺めた。「千葉創佑」。一度も呼べなかった「創佑」という名前に、目の奥が熱くなる。でも泣きたくないからビールを飲んで風呂に入ってさっさと寝てしまおうと考える。  窓の外から流れ込んでくる潮風を胸いっぱいすいこんだ。ベッドにもたれて携帯電話を眺めていると、着信履歴の中に見知った人間の名前がひとつ紛れ込んでいて驚く。海保大時代の、同期だった。 『もしもし?おーー!ひっさしぶりだな元気かよ!』 「フツ―だよ、何の用だ。結婚式ならでねーぞ」 『あほっ!出会いねーわ!彼女すらいねーわ、言わせんなハズカシイ』 「だな、荻原がそんなモテるわけなかった」 『ムラカズこそどうなんだよ。お前無駄に顔キレイだから実はもう結婚してたりすんじゃねえの』 「相手がいねーよ」  憎まれ口をたたき合い、お互いに近況をしらせ合って、5分ほどしたところで突然爆弾が投下された。本当に突然だったのでおれは、丸腰だった。気持ち的にはこっぱみじんに爆散した。 『千葉が結婚しただろ。デキ婚だからって式しなかったみたいなんだけどさ、同期だけで結婚パーティ的なことやりたくて。お前めちゃくちゃ仲良かったじゃん、おれと幹事やってくんない?』 ――言葉が出てこない。このままじゃ変に思われる。  必死で頭を使って、掠れた声で笑った。 「土日は大体仕事だし、正直厳しいな」  幸せそうなふたりをニコニコ祝福して、花びらでも投げろってか。絶対に嫌だ。そんなことをしたら多分、その日のうちに海に飛び込む。  なんとか上手く断ろうと、言い訳をペラペラと並べ立てた。 「どうせ祝いなんか二の次で、ヨメ側の女子と知り合いたいだけだろ、お前らは」 『コラコラ。おれはあれだよ?純粋に同期の幸せを祝福してだな』  笑い混じりの声に、自分の答えが正解だったことを知る。このまま、この話が流れてしまえばいいと願った。 『船の上だとむさくるしい男ばっかだしさ。このままだと男に走りそうだ」  いくら多方面に女性が増えてきたとはいえ、救助の現場では、まだまだ女性の数は少ない。潜水士に至っては、女性はひとりもいないというのが現状だ。 「コンパばっかやってたもんな、お前と千葉は。先越されちまったみたいだけど。まあそういうわけだから、他当たってくれ」   『なんだよ、お前らあんなに仲良かったのに、冷たいな』 「仲がよかったのは学生んときと、同じ職場だったときだけだ。今はたまに飲みに行く程度だよ、千葉とは」  そうなのか、と返事した萩原が、急に沈黙する。 『……波の音がする』 さっきとは打って変わって真剣な声で、萩原が言った。 「海沿いに住んでるからな。…なかなか、海は嫌いになれねえよ」 『そうか。そうだよな』  そうだ。大好きだった。海も、海の匂いがする千葉も、海で働く自分も。  同じ仕事をできなくなった今でも、波の音や、海風の匂いから離れることができないぐらいに。 『でもホント、祝福はしてやろうぜ?お前気付いてないけど、千葉はずっとお前のこと気にかけてた。管区が変わっても、お前と同じ職場の連中にお前のこと頼んだりさ。カズはほら、顔だけはきれいだろ。口はほんときたねーし、手も足もすぐ出るけど。おまけに腕っぷしも強いけど、お前のこと変な目で見てる奴もいたんだぜ。隙あらばどうにかしてやろうってヤツもさ。そういうの、ずっと千葉が牽制して守ってたんだ』  初耳だった。そんなこと、全く気付かなかった。 「な、にいってんの、お前。おれ男だぞ。大体どんだけ黒帯もってると思ってんだよ、柔道剣道合気道、全部段持ちだぞ!変な奴いたら片っ端からぶっ飛ばしてやるわ」  ついこないだ千葉も投げ飛ばしてやったし、とは言わなかった。理由を問われると面倒だ。 『だよな。確かに余計なお世話だろとおれも思ってたけどさ。そんでも、泥酔したときとか何回かやばかったことあったし、冗談めかしてお前のケツさわったり、命令だっつってキスしようとした先輩とかいたじゃん。あれって千葉がいつも上手く受け流してフォローしてくれてたんだぜ』 「…いつごろの話だよ、それ」 『大学入ってすぐから。ずっとそうだったよ。だから』  うそだ、そんな。  片思いだとおもっていた。付き合ってからも、どこか現実感がなかった。いつか必ず別れがくると思っていた。だからこそ、おれは千葉を、創佑とは呼ばなかったのに。 『一緒に、新しい門出を祝ってやろう。な?』  もう断ることはできなかった。ここで無理に断ったほうが、何かあったのかと勘繰られることになる。 「わかった…打ち合わせしねーとな。クソめんどくせーけど、東京出たらいいのか」 『クソとか言うな。そうだな、じゃあ再来週の…』  萩原と会う日程を決めて、電話を切る。 「あのボケ!!余計なこと考えてんじゃねえ!」  大声で叫んで八つ当たりしても気は晴れない。むしろ頭痛がしてきた。  幹事として準備だけして、パーティ当日はバックレようか、と考える。いいアイデアだと我ながら思った。そうだ、そうしよう、むしろそうするしか自分の心を守る方法はない。  千葉が誰かの腰を抱き、幸せそうな顔で笑うところなんて見たくない。  招待客にせがまれて、照れくさそうに新妻とキスをするところなんてみた日には、おれの心は壊れてしまう。泣くとか泣かないとかじゃなくて、ダイナマイトでもしかけられたみたいに、砕け散って四散する。  セックスでしか繋がっていない、そう思い込んでいた方がずっと楽だった。  知りたくなかった。 ――千葉が、おれと同じ気持ちでいてくれたなんて。
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