レナ・リーベルマンの涙

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 映画館から人の山があふれ出した。誰もかれも姿勢を低くしながら、手を腰のあたりに回している。眉根を寄せてはいるが、ギャングの使い走りのガキほどの迫力もない。  コートのポケットから紙袋を取り出し、煤煙交じりの空気を捕まえると、口を締めて叩いた。破裂音が裏通りを痺れさせ、西部劇かぶれの臆病者に戒めの銃弾を放った。  くだらない。  懐の時計と上映スケジュールとを見比べる。目当ての女優が主演を務める悲恋が始まるまで、あと十五分。ということは、彼女が出征する男に泣いてすがりつくまで三十五分、死の知らせに絶望するまで七十分――そして、男の奇跡の帰還に泣き崩れるまでには百分の猶予があるわけだ。  レナ・リーベルマンは、泣き顔の醜い女優だ。もともと、スクリーンに映えるような顔じゃない。目鼻立ちがぼんやりしていて、足の裏みたいな顔だった。目も小さくて、どんなに化粧を施しても、目を閉じるとどこが目なのか分からない。そのくせ、泣くときには盛大に泣く。身も世もなく、なんて言葉じゃすまないくらい、恥も外聞もかなぐり捨てて、顔中の穴という穴から液体を吹き出して泣く。  初めてそれを見た時、俺は同じぐらいひどく泣きじゃくった。嗚咽を止めることができず、周りの席から咳払いが飛んだが、それでも収まらなかった。  悲しかったわけじゃない。感情は死んだままだった。それなのに俺の体は、彼女に演じられてしまっているかのように泣き続けた。  体調が悪かったんだ。あるいは、戦地の記憶がフラッシュバックしたのかもしれない。いずれにせよ、これは一度限りの事故。二度と同じことは起こらない。そう言いながら、もう一度映画館に足を運んだ。結果は言うまでもない。あの時は、男の帰還を待たずに、劇場を飛び出した。  くだらない。  西部劇に影響される小市民のように、自分の体を操られるなんてごめんだ。レナ・リーベルマンにも、嘘の戦争にも。  上映まであと七分。座席は硬く、自然と背筋が伸びる。客の入りは良くない。誰もが美しい女優を見たいと思っている。美しい者が、美しく絶望し、美しく救われるさまを見たいと思っている。それこそ、嘘の世界の出来事。小市民は皆、劇場に嘘を求めてやってくる。  だとすれば、紛れもなくレナ・リーベルマンは本物だった。彼女の演技は本当の悲しみを体現していた。物語が三流の紋切り型だったとしても、相手の男優が素人臭くても、彼女だけは本物の涙を流した。  だからこそ、俺は泣くわけにはいかない。その涙は、俺が失った現実の涙だから。  劇場が暗くなり、スクリーンに大きくタイトルが躍った。次いで銃撃、爆撃、轟音、遠くで弾ける肉体……。  三年前、俺はそこにいた。リアナを置いて、俺は戦地に赴いた。それが名誉だと信じて。選択の余地はなかった――というのは言い訳にならない。俺は、自らの意志で戦争を選択したのだから。リアナの想いを信じて、故郷に残してきたのだから。  三年間、敵地を転々とした。命は土塊(つちくれ)と同じ価値になっていく。拾っても捨てても、体を汚す道具にしかならない。迷彩の戦闘服にしみ込んだ血は、敵味方の区別がない。むかつく上官の血も、心を許した友人の血も、その友人を殺した相手の返り血も、土と同じ色になって俺の姿を死から隠す役割を果たした。  戦争が終わっても命がそこにあったから、拾い上げた。故郷に戻ると、リアナは知らない町に嫁いでいた。俺が出征してすぐのことらしい。  俺には、命を拾う意味などなかった。  スクリーンではレナ・リーベルマンが決然とした表情で、鍬を握っていた。くだらない思いにとらわれている間に、最初の涙を見逃してしまったらしい。彼女は一心不乱に働いていた。土にまみれ、干し草をかぶり、醜く生きていた。やがて、彼女の年老いた父親が、食事の最中に倒れた。母親が悲鳴を上げて取りすがる後ろで、レナ・リーベルマンが机の下に潜り込む。これは、見覚えがない。ピントの合わない彼女の姿を追っていく。小さな目が浅瀬を泳ぐ小魚のように動き、父親の手から落ちた一かけらのパンを探し出す。母親が一層激しく声を上げた瞬間、彼女はパンを拾って素早く飲み込んだ。ただ、拾って飲み込んだ。必死さも、汚さも、何もない。レナ・リーベルマンは一切の感情を消して、それを飲み込んだ。  俺は思わず口を押さえた。自分の拾い上げた命――それは、誰かが落とし、誰かが悲しむ横で、レナ・リーベルマンが掠め取ったパンと同じだ。  くだらない。  腰に手を伸ばすが、ベルトには何も――俺に安息もたらす何物もささってはいない。  ポケットの中には破れた紙袋が入っているだけ。  顔を上げると、短い葬列が遠くへ消えていく中、レナ・リーベルマンが鍬を握って俺を見ていた。
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