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──あなたへ手紙を書きます
通り過ぎる人々の訝しげな目を尻目にいつものように立て札を壁に立て掛ける。キャンプ用の折りたたみテーブルをガチャリと拡げ朱色のペーズリー柄の布で覆う。その上にこれもまたいつもと同じようにコールマンのガスランタンを置く。
平たいお椀をひっくり返したようなガス缶に細長い茶色の小瓶が乗っているお洒落なやつ。
ガスの元栓を緩めて着火レバーを押すとあたりに優しいオレンジ色の灯りがぽっと拡がる。
「さぁ開店、開店」
そんな私の呟きに膝の上に乗るアズキがムニュムニュと声にならない鳴き声を上げた。
ニャアとはほとんど鳴くことのない彼女だけど不満がある時は口をモグモグさせる癖がある。
「それにこの頃どうしたん?喋れへんし。忘れたん?言葉」
週末の祇園小路、戸張がおりてダウンライトが足元を照らす頃には途切れることの無い人並みが小路の石畳を埋め尽くすほどに溢れかえる。
「猫はあんまり喋るなって」
「あっ、喋った」
アズキは御年猫年齢10歳。人間ならもう初老のおばさんだけど聞こえてくる人もどきの声は意外と若い。
「....」
「誰に言われたん?喋るなって」
そんな私の声に反応するでもなく
膝の上でその茶色のビロードの毛並みをサワサワと揺すりながらあげていた小首をまた私の膝の上に戻した。
そんな一人と一匹に
行き交う人々が怪訝そうな顔をこちらに向ける
舐め回すように視線を投げ掛けては通り過ぎていく
テーブルに置いた手書きのメッセージボードがランタンの灯りにゆらゆらと揺れる。
──あなたへ手紙を書きます。
過ぎ去った若かりし日のあなたでも
遠い未来の老いたあなたでも
昨日のあなたでも明日のあなたでも
私は手紙をあなたへ届けます
花栗今宵
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