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別にミステリー小説でもないのであっさりカミングアウトしてしまうと、私が今ぶっきらぼうな拙文を用いて再現したのは、彼らが実際に2014年12月24日に配信した生放送のタイムシフト映像である。
こんな映像、当の昔に期限切れしているのでどこにも残っているはずはないのだが、タイムシフトを何度か見直していた私の脳内には鮮明に残っている。何年経っても全く忘れさせてくれない。人間、生きてれば楽しい事も辛いこともたくさんあって、記憶はどんどん上書きされていくものなので、忘れることのできるチャンスはいくらでもあったはずなのだが、日常の中ふと空白の時間が生まれた瞬間に、私の脳裏にまた浮かび上がってくる。本当にはた迷惑な話。せめてもう少し刺激的で小話の一つにでもなるような記憶だったら御の字なのだが。
私が彼らのタイムシフト映像を初めて観たのは、この日のものが初めてだった。確か配信日の次の日に再生した。なので12月25日クリスマス当日だった。そんな日に私は、映像上の彼らと初めて出会った。心底くだらん虫唾が走る映像だった。
なぜ私がこんな配信を観ていたのか、と問われればただの暇つぶしとしか言えないし言いたくもない。それぐらい当時の私は時間を膨大に持て余した『黒歴史』としか説明のできない時期があった。こんな配信から特に参考になることなんて何もなかったし、彼らを応援しようなんて気持ち、今も昔も皆無に等しい。なんなら「早く芸人辞めればいいのに」ぐらいなドライさで観ていたと思う。
私は、己をまるで客観視できていない彼らのことをとても哀れに思う。
彼らに足りないものは何かと聞かれれば、それはまず「配信に対する情熱だ」と簡単に助言することができる。
「元気になりなさい。君らが暗いとこっちまで暗くなる。あと世の中は君らが思っているほど思い通りにいかない。二年ぐらい上手くいかないからってなんだ。世の中にはもっと長い間日の目を見れていない人間がいて、世の中は敗者で溢れかえっているんだわ。だからビジネスをちゃんと一からやり直しなさい。できるなら、さっさと大人になりなさい」
こんな正論を使って助言することは簡単だ。今の私にも簡単にできる。
しかし。こんなにも哀れな彼らに、ましてや過去の映像上の人間にそんな薄っぺらな言葉が届くのだろうか? いや、時系列的問題は置いといて、実際に言葉を届けることができるなら、という話だ。
薄っぺらいは少し語弊があるのかもしれないが、卑屈に腐りきっている人間にそんな正論を投げてみたところで届く訳がないだろうということだ。
じゃあどうすればいいのか。それは、本作をここまで読み進めてきた読者が各々で考えれば済む話で、答えなど、ない。
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