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 文代は私室で資料を読んでいた。刑事二人の訪問の後、少し仕事をしてから夕食をとり、もう後は寝るだけという状態である。寝る前の小休憩は、日々の疲れを癒やす欠かせない日課だ。普段は紅茶を飲みながら小説などを読むのだが、今夜は調べなければならない事がある。  扉がノックされ、女中の小林が紅茶を運び入れる。文代の手元の資料を見ると顔を顰めた。 「昼間の刑事の若い方、笠森さんでしたっけ?とても無礼な人でしたね。こちらを侮っている態度が気に障りました。また来るのですか?」 「ええ。ふふふ、そんなに嫌わなくてもいいじゃないですか。私は、元気があって将来有望な、面白い人だと思いましたよ」 「奥様のいう面白い人は信用なりません。」 小林はどこかあきらめたようにため息をつく。 「『面白いから』といって雇った使用人や、住まわせている書生の方々はとっても個性的で、おかげさまで毎日賑やかですよ」 「あらあら、賑やかなのはいいことじゃないの。」 少しも悪びれた様子がなく声を上げて笑うので、小林は呆れて退室するべく踵を返した。 「飲み終わったカップは扉の外のワゴンに置いておいてくださいね。後で取りに来ますから、あまり遅くならにうちに切り上げてください。では、お休みなさいませ」 最後はきちんとしたお辞儀をして下がる。 「個性的な使用人の中に自分も含まれていること、気がついているのかしら・・・?」 クスクスと笑った後、再び資料に目を落とす。  『帝都連続自殺事件』の被害者のうち三人は、確かに文代と面識がある。文代の方から声をかけて会いに行ったのだ。だが、一年以上前に二・三回面会した程度。その後のやり取りは年賀状や暑中見舞の絵葉書くらいだ。名前や背格好は覚えていても、顔や声などを鮮明に思い出すことは難しい。 けれど、はっきりと覚えていることもある。三人とも、「期待している」と言ったのだ。自分たちのような人間の希望となり得ると、だから待っていると、言ってくれた。 笠森と同じように、文代も自殺だとは考えていなかった。 だって、彼女たちが必死に生きようとしていたことを知っている。 今日、警察の資料を一部でも手に入れられたことは行幸だ。独自で調べる伝手もあるにはあるが、わざわざ危険をおかさずにすんだ。 高岡から渡されたものは、面識があるとわかっている三人分の資料だけ。事件を解決するには不十分だろうが、それでもわかることはいくつかある。  まず一人目の高橋和美、二十六歳。 十八歳の時に地方の実業家と結婚し帝都を出るが、二年後に離婚し実家に戻っている。 彼女は六月十六日に、自宅近くの川辺の草むらで、早朝に犬の散歩をしていた老婆に発見された。 草むらから煙がのぼっていることに気がついた老婆が何事かと近づくと、うつ伏せに倒れている彼女を見つける。 煙は彼女から発生しており、自分の右手で喉を掴んだ状態だったという。 死因は、その右手で喉を強く締め付けたことによる窒息死であると思われる。 しかし、直接の死因では無いものの、全身にひどい火傷を負っていた。  二人目の田中栄次郎、四十二歳。 八年前に離婚し、妻と子供が出ていってからも引っ越しはせずに、下町の一軒家でひとり暮らしをしていた。 七月二十日昼すぎ、自宅の庭の木で首を吊っているのを、荷物を届けに来た知人が発見。全身が真っ黒に焼け焦げていたが、死因は焼死ではなく首吊りによる窒息死であるとされている。 あたりには肉の焼ける嫌な臭いが漂っていたらしい。  そして、三人目の早川良子、十五歳。 彼女は幼少期から体が弱く、入退院を繰り返していた。 九月八日深夜、入院している病院の三階から飛び降り、転落死した。すぐさま医師が対応したが、即死だったようだ。なぜか全身に裂傷を負っており出血も酷かったため、もし頭から落ちずに即死を免れたとしても、助からなかっただろうといわれている。全身の傷口は焼けただれていたらしい。  この三件から、『帝都連続殺人事件』における共通の奇妙な遺体の状態とは、直接死因に関係しない火傷があるということだろう。 そして、どれも焼けたのは被害者の身体のみであり、着物や周辺の物には一切燃えた痕跡がない。 警察もどう処理すれば良いのかと、頭を悩ませているのかも知れない。  このまま情報整理を続けたい気持ちもあるが、あまり夜更かしをすると小林が怖いので、おとなしく空になったカップをワゴンに置いて寝ることにする。 明日から忙しくなりそうだ。
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