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 それから数十分後、笠森が顔を上げると、夫人はいつの間にか取り出していた小説を読んでいるようだった。隣の女中も、なにやら険しい顔をして本を読んでいる。夫人は時折、わからない漢字や言葉の意味を教えてやっているようだった。女中もそれに慣れた様子だったので、明智家では使用人の教育に力を入れているのだろうか。  また、女中の格好も変わっていた。いわゆる、西洋の女中が着ているような、黒い足首まである丈の長いワンピースのようなものに白いエプロンをつけている。十六・七歳に見えるが、その割には落ち着いた雰囲気というか、無表情か不機嫌な顔しか見たことがない。  区切りのよいところまで読み終わったのだろう。本にしおりを挟んで、夫人が問いかけてくる。 「率直な意見を聞かせてください。どう思いましたか?」 なんとなしに紙束の表面を指先で撫でる。 「彼らは生きづらさを抱えながらも、懸命に生きようとしていた。けして、自殺をするような人間には思えない」 「はい。私がお会いした後に、よほどのことが起こらないかぎりは、自ら死を選ぶような人たちではありません」 「そして、もう一つ気になることがあります。あなたは、この方々に会って問診のようなことをしていますね。これはその記録だ」 目を閉じて、眉間を揉み込むようにしてほぐす。ああ、頭が混乱しているようだ。 「……私がこの方々に会いに行った目的は、私たちの新たな事業に協力してもらうためでした。先の世界規模の大戦が終結し、つかの間の穏やかな時間が流れている今、私たちは医療方面に力を入れようと考えています。もともとの得意分野は機械です。その知識を活かして、新たな機関(からくり)を開発し、義肢をつくろうとしておりました」  明智家については、夫人が容疑者としてあげられた際に調べている。もともとは江戸時代初期から続くカラクリ技師の一族だ。明治時代に入ると、海外の科学技術を取り入れて様々な機械を開発した。国内では道路や鉄道工事、大規模建築などの公共事業で使われる重機が有名であるが、海外向けとして、おもに英国に機械の部品を輸出している。 「義肢をつくるにあたって重要なことは、実際に使う方々の需要です。そのため、情報の収集と試作品の使用試験の依頼をするために、生まれつき、もしくは事故などによって、身体に不自由を抱えている十数名の方に面会をしていました。今回の事件で亡くなられたのは、そのうちの三名です。以前、高岡さんにいただいた資料にはご遺体の奇妙な共通点について、死因とは関係のない火傷を負っている、とだけ記載されていました。そこで、確認をさせていただきたいのですが、高橋さんと田中さんのご遺体の両手足は揃っていましたか?」 笠森は机に片肘をつき、頭を抱えて答える。 「はい。欠損はありませんでした」 やはり、と夫人は頷く。 先程読んだ情報によると、高橋和美は不慮の事故により左腕の手首から先を失っている。そして田中栄次郎は元軍人で、先の大戦時に右足の膝から下を失ったらしい。しかし、実際の二人の遺体には両手足が揃っていた。けして作り物ではない、本物の手足だ。 早川良子については、生まれつき年々筋肉が衰えていく病気で、最近は自分一人で寝台から起き上がることすら困難な状態であったはずである。 いやな可能性に気がついてしまい、思わずうめき声がもれる。 「変死体というだけならば、まだ我々の管轄だが、これは……」 陰陽寮に引っ張られるかもしれない、と苦虫を噛みつぶしたような顔で呟いた。  陰陽寮とは、明治になり再建された政府組織の一つだ。かつて、武士の時代となる前には、朝廷の中枢にも陰陽寮の人間がいたという。その陰陽寮の本拠地は京都だ。京の町では、いたる所で狩衣姿の陰陽師を見かけるという。東京ではそれほど見かけることはないが、もちろん東京支部もある。  笠森はその東京支部に行ったことがあった。警察に入ったばかりの頃に受ける新人研修には、協力関係にある陰陽寮の視察も含まれているのだ。そこで偶然目にした光景を、決して忘れることはできない。 「無いはずの手足が生えるなんてことは、明らかに陰陽寮の管轄だろう。動かないはずの身体か動くというのもそうだ。たとえ犯人を捕まえたとしても、あちらに引き渡されることになる。そしてその後のことは、有耶無耶にされるだけだ」 「有耶無耶にされる、ということは犯人が裁かれることはないのですか?」 「ああ、陰陽師どもにとって利用価値があるなら裁かれない。陰陽寮から出ることはなくなるが……」 「陰陽寮に事件の真相を気がつかせることなく逮捕する、というのは可能ですか?」 「……難しいかと。警察と陰陽寮は協力体制にある。内部にも陰陽師の手のものはいますから」 大きく息を吸って冷静になるよう努める。すこし話しすぎた気もする。 「今回の事件は、純粋な自殺と思えない。こちらの記録を読んで自分が言えることは、それだけです」 「……ありがとうございます。そちらの記録は差し上げますので、高岡さんに渡していただいてもかまいませんよ」 質問などございましたら明日お答えいたします、と言い残すと女中を連れて店を出て行く。コーヒーを飲み干して自分も店を出ようとウェートレスを呼ぶと、代金はすべて夫人が払っていったらしい。
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