エミリー

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エミリー

 眠りにつきそうで、うとうとしていた時だった。部屋の扉の鍵が開く音がした。  鈍い動作で首だけをそちらに向けると、そこで五つの小さな光が浮かんでいて、あたりの闇を照らしていた。それはまるで、一つの大きな火の玉のようでもある。  赤い光は徐々に近づいてきて、やがて手を伸ばせば届く距離となった。だが、それは許されない。たとえ体の一部であっても、檻の外に出てはいけないのだ。 「ハッピーバーズデー、エミリー」  その男はロウソクの奥で笑っていた。男といっても、老翁である。 「パパ……」  弱々しく、今にも絶命しそうな声。 「七月十七日。今日でエミリーも六十回目の誕生日を迎えるな」  男がホールケーキを床に置く。 「ありがとう」 「礼なんていらないんだよ。娘の誕生日を祝うのは当たり前じゃないか」  そうニコニコし、男はホールケーキを檻に近づける。 「ほら、火を消しなさい」  横になりながら息を吹きかけた。しかしそれは微風にも満たず、五つの炎は揺れるだけで消えそうになかった。 「ほら、頑張りなさい」  もう少し強く吹きかける。やはり、結果は同じだった。これが体力的にも限界なのだ。 「しょうがない子だ。仕方ない。私が消そう」  そういって男も息を吹いた。しかしそれもまた弱く、男がしても変わらなかった。 「まいったな。私も歳か」  男が悲しそうな表情をする。それを見るのは辛くあった。 「ほら、口を開けなさい」  檻の外から生クリームが乗ったフォークが伸びてくる。小さな口を開けると、男は慣れた手つきで食べさせた。 「美味しいかい?」  ゆっくりと頷く。 「そうだろう。エミリーは昔からケーキが好きだもんな」  すると、そのタイミングで男は激しく咳き込んだ。飛沫がコンクリートの床に散る。それが赤いのは、ロウソクの明かりのせいではない。 「パパ……死んじゃうの?」  薄々感じていたことだった。 「死なないさ。誓うよ。これからもずっとエミリーと一緒だ」 「ほんとに?」 「ほんとだとも」  男は安心させるため、皺をくちゃくちゃにして笑顔を作った。 「パパ……お願いがあるの」  怯えながら聞く。 「なんだい」 「一度だけ……パパとお外に出たい」  すると案の定、男の顔が鬼のように変貌した。男はケーキにささったロウソクを一本抜き取ると、それで横になっている顔を炙った。絶叫が部屋に響き渡る。 「どれだけいえばわかるんだ! 外は危険で満ち溢れているんだぞ。五十年以上、お前をこの檻に閉じ込めてるのもお前のためなんだ。私はエミリーが大事で……エミリーまでいなくなったら私は……私は……」 「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい」  男は慰めるように頭を撫でる。 「分かってくれればいいんだよ。私もすまなかった。痛かったよな。これもエミリーのためなんだ。すまない。すまない」  男は牢屋に入り、その震えている体を抱き寄せた。 「エミリー、愛してるよ」 「あたしも……パパ愛してるよ」 「パパ以外なにもいらないよな。パパさえいれば、それでいいよな」 「パパがいれば……いい」 「そうだよな、そうだよな」  その男は基本、食べ物以外与えなかった。本、服、化粧など、それらは全て必要ないと思っていた。男に対する愛さえあれば良かったのだ。また、愛以外のものが愛を邪魔するとも考えていた。なので、牢屋には何一つ物がなかった。 「こうしてると、エミリーを初めて抱いた日を思い出すよ」  抱いている時、いつも男が口にする台詞だった。 「ママのことは?」 「ああ、もちろんママのことを思い出すよ」  すると、男はまた咳き込む。吐血だ。 「パパ……」  不安が篭った声だった。 「やはり、もう長くはないのだな」 「やだよ……パパさっき、ずっといるっていったんじゃん……」 「ああ、いるとも。ずっとこうしてる。どこにも行ったりしないさ」 「うん……」 「ごめんな」  そういって男はゆっくりと目を瞑った。 「パパ?」 「パパ?」 「パパ?」  男は眠るように死んでいた。ただ、頬には涙が伝っていた。  そこで、男の胸元のポケットに何かが入ってあるのに気づく。男を横にし、残された力でそれを取ってみると、手紙だと判明した。 『私は一生償いきれない罪を犯してしまった。これからは目に見えないとてつもなく重いものを背負って生きなければならない。それほどのことを私はしたのだ。  七月十七日、エミリーの誕生日に私は小さな女の子を誘拐した。エミリーと似た女の子だった。しかも聞いたところによると、その子はまだ5歳で、死んでしまったエミリーと一緒の歳だった。名前はナタリーと言った。でも、これから私がその名をここに書くことはないだろう。なぜなら、今日からあの子がエミリーになるのだ。誕生日も名前も顔も違うが、いずれあの子も自分がエミリーだと認識し始めるだろう。  私はエミリーを牢屋に閉じ込めることにした。泣き喚きながら家から逃げ出そうとしたからだ。だから私は一生そこから出さないことに決めた。それに、また死なれても困る。娯楽などもいらない。私さえいればいいのだ。愛さえあれば。  そうはいえども、不安だった。私自身がこの子をエミリーとして愛せるのかどうかだ。寂しさのあまりあの子を誘拐したわけだが、実際のところ、あの子をエミリーとして愛せるかが不安だった。そして、エミリーも私を父として受け入れてくれるかどうか。これから調教していくつもりだが、どうなるか私にもわからない。私は幸せになれるだろうか。 いつか、これをエミリーが読む時が訪れるとすれば、その時、あの子は何を思うだろう。また、どう感じるのか。それは私には想像もつかなかった。また、想像したくもなかった。  追記、七月十七日。私はとうとう最期の最期まであの子をエミリーとして愛することができなかった。』  文字を読めるはずもなく、エミリーはただただ愛する父親を抱いて、死んでいったのだった。
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