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天然水
あの頃は良かった。
日本一の富士の山を忘れる事はない。
いつも目を閉じては思い出す。
身体も心も汚れ疲れ切っていた私たちを、
富士の山の木の葉や土は暖かく迎え入れて
くれた。
身体が土の中に浸透していくと、
ささくれだってしまった心を
を少しずつほぐしてくれた。
と同時に汚れた身体も浄化されていく。
安堵した私の身体は、深く深く
富士の山の深層に落ちていった。
深くいけばいくほど、
清められ、
更に何かを与えられ、
空にいた時とは全く別のものに
変わっていた。
土から出た私たちを、時折人々が好んで
飲みに来る。
一気に飲み、目に活力を宿してまた山を
登ったり降りたりしている。
あぁ、空にいる頃の私たちに対する人々
の視線は、ただただ邪険に扱われた
虚な目ばかりだった。
私たちは本当に変わったのだ。
そんな私たちを、人々はその場で飲む
だけでは飽き足らず、しばし透明な入れ
物やタンクに入れて持ち帰る。
私たちが入ったその入れ物は、持ち主が
持ち帰る事もあれば、大量に詰められ、
並び、長時間移動する事もある。
私もその入れ物に入った。
そう。
入った瞬間が運命の分かれ道だった。
富士の山の中で心清らかに過ごした後、
湧水として甦り眩い光と共に過ごして
いた私だったが、ある日壮大な音を立
てて、一気に汲み上げられた沢山の私
たちは大きな入れ物に入った。
というか入れられてしまったという方
が正しい。
一杯になった入れ物から突然移動すると、
この清められた身体から更に余計な分
まで抜き去り、次には熱せられた。
猛暑のコンクリートの上にいた時のよう
な猛烈な暑さだった。
そこから私の記憶は途切れている。
目が覚めるとほとんど骨抜きになった
らしい私は、ぼーっと外を見るしか
なかった。
沢山の人々が私の前を通る。
少し経つと、私の入った入れ物が
移動させられた。
何かに入れられた後、次から次へと
周りにも乱雑に物が置かれ増えて
いった。
その間もガタガタと振動があり窮屈
だがじっと耐える。
遠くからは、人々の声に混じって、
ピッピッという音がずっとしている。
その音がだんだん近づいたと思うと、
赤い光と共に大きくビッ!
という音が鳴り私は再び気を失った。
次に目覚めた時には真っ暗な闇の中にいた。
もう何も考えられないが、私はたしかに
生きている。
私の他に同じ運命を辿っている者が
いくつかいる。
他には小分けにされた箱も隣に見える。
たまに灯が付くが、人は何かを取りに
来たらしく、取ったらすぐに灯は消える。
私たちは必要ないのだろうか。
だとしたらなぜこんなに沢山の水を
暗い所に置いてあるのだろう。
いつかは飲んでくれるのだろうか。
今の私には
答えの出ない疑問を
自分に投げかけることしかできない‥
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