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先生はコーヒーを一口飲んで、冷めちゃったな、とつぶやいた。
かちゃんと音を立てて、カップを置き直す。私はその音でハッと意識を覚醒させた。ここが学校近くのファミレスだってことを、すっかり忘れていたのだ。先生の話を聞くことによって、一緒の時間を過ごしてきたような気すらしていた。先生が中々話を再開しようとしないので、思わず「それで?」と尋ねた。
「それでって?」
「森はあったの?」
「ああ、あったよ。クシュヴィ・ラスだ」
先生はスマホをこっちに向けた。スマホの待受は、ぐにゃりと歪んだ木の写真だった。どうってことない気がするけど、よくよく見るとやっぱり不気味だ。先生は待ち受け画面を眺めながら言った。
「16歳で初めて外国に行った。パスポート取ったり、中々大変だった」
「学校は?」
「休んだ。色々あったし、親ももう慣れてたよ」
先生はウエイトレスを呼んで、コーヒーのおかわりを頼んだ。私はウエイトレスがいなくなってから身を乗り出した。
「私も行きたい。そのクシュヴィ・ラスってとこに」
「やめたほうがいい。行くのがすごく大変だから」
「連れてってよ」
先生は「無理だよ」と苦笑する。なんで? 子供だから? 生徒だから? 別に私は、先生が好きだとか、気になってるとか、一緒に旅行したいとかじゃない。ただその森を見たいだけなのに。
先生はふくれっつらの私に構わず、大事そうにスマホをしまい込んだ。スマホ自体じゃなくて、ハルさんとの思い出を大切にしてるんだと思った。今もポーランドの曲がった森は無事なんだろうか? もしその森がなくなったら、先生はどうするつもりなんだろう。
「私を見て、ハルさんを思い出したくせに」
ぼそっと言ったら、先生が動きを止めた。
「……そうだな」
彼はふっと目を伏せる。
「桜庭がハルに似てなかったら、こんな話はしなかった」
何よそれ。おとなになっても死んだ彼女を愛し続けてますって? 今どきそんなの流行らないって。なんで私、こんなにイライラしてるんだろ。先生はカバンを手に席を立った。
「なにか相談事があったら職員室に来なさい。学校の外で会うのはよくないから」
なにそれ? 急に普通の先生ぶって。問題児だったくせに。童貞のくせに。
「あんたに相談事なんてないわよ、童貞!」
周りの客がぎょっとした目でこっちを見たけど、先生は笑っていた。当然のように、私のぶんの支払いを済ませて去っていく。なんかわかんないけど、すっごいムカつく。私は勢いよく呼び出しボタンを押し、パンケーキを追加注文した。
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