血濡れの悪魔

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***  街全体が真っ赤に染まりだす頃、今日の講義を片付けた僕は、重い体を引きずりながら街外れの小さな商店街を歩いていた。シャッターを下ろしている店の方が多いのではと思う程、なかなかの廃れ具合の商店街だ。しかし、ふと目を上げれば、光が漏れている店があるではないか。 「ん…?あれは、TST○YA?」  この寂れて今にも無くなりそうなこの商店街に、TST○YA…?  辺りは人通りも少なく、会社帰りのOLやサラリーマンの姿はない。あるとすれば、必死に参考書に顔を突っ込む苦学生くらいだろうか。 「苦学生…」  なるほど、よく考えてみれば明白だ。この先には、苦学生の根城と言っても過言ではない古びたアパートが多くある。大都市から外れ、時代から取り残されたように残るアパート。確かに、何浪もしている苦学生にはお似合いだろう。  恐らくTST○YAはそこに目をつけたのだ。ほら、今だって隣を通り過ぎた子が、吸い込まれるように入っていった。  正直、苦学生の気持ちなどまったく分からない。なんせ、これまで人生がイージーモードだったのだ。この年で教授になるくらいには。  それに、わざわざ一つの進路にこだわり続けるのも馬鹿らしいとすら思う。一度きりの人生をそんなことに使って良いのか。否、僕はそうは思わない。だからこそ、興味があるものには片っ端から手をつけるようにしている。 「…ん?」  そういう間に、僕はどうもぼーっとTST○YAを眺めてしまっていたようで、先程の子が店から出てきてしまった。お目当てのものも見つけたようで、参考書に顔を突っ込んでいたときよりホクホク顔だ。  ふーん……そんなにあの子の顔を変えるものって、なんだろう。 「ねぇ、君!さっきTST○YAからでてきたよね?何買ったのか教えてくれる?」 「え……」  まあ、そりゃあ驚くよね。突然知らない青年に声を掛けられるんだから。けど、知ってるよ。  この子は──── 「ああ、怪しい者ではないよ?僕はT大で教鞭をとってるんだ。……ほら、これ」 「え!!っ、それはT大の教授が着けてるブローチ!!あなたは、そんなに若いのに…?」 「そうだよ。T大のホームページにも載ってるから、確かめてくれても良い。……それより、何を買ったのか教えてくれる?」 ────彼はT大を目指す高校生の一人だった。彼が持っている使い古された参考書は、ぼろぼろだったけれど確かに『T大合格にはこれ一冊!』という謳い文句があった。僕はそれを見つけ、すぐに彼を信じさせるために、教授となったときに支給された小さな丸い金のブローチを見せたのだ。  案の定、彼は僕が志望校の教授だと分かるとすぐに態度を変え、丁寧に買った本を説明してくれた。 「えっと、僕が買ったのはラノベの『異世界転生してみたら?』と『異世界行ったらハーレムできた』というやつで、今日が発売日なのでつい…」  どうやら受験生にも関わらずラノベなる本を買った自分を恥じているらしい。 「へぇ、参考書じゃないんだね」 「あ!え、えと…」 「ふふっ…あー、気にしないで。別に悪いとは言っていないよ。息抜きは大事だしね」  実際、昔の僕の勉強時間なんて、彼が掛けている時間の一割にも満たない筈だ。  そういうのも、幼い頃に、知りたいことを片っ端から調べていたら、気付けば大学受験に必要な範囲まで知ってしまっただけなのだが。そして、飛び級に飛び級を重ね、謎や疑問を追いかけ、いつの間にか大学教授になっていたって訳だ。 「ふーん、なるほど…ねえ。ラノベは面白い?」  今まで図鑑や辞書、純文学作品や哲学書など様々な本を読んできたけど、まだラノベは未開拓である。 「えっと、はい。とても面白いです。まるで、自分が知らない世界で勇者になったような気分になれます」 「へぇ…そうだ。なにかオススメはある?」 「う~ん、それなら『異世界食堂』とか『ちょっと異世界行ってくる』…とか、あ、でも教授さんならもっと複雑な『異世界放浪記』でも……いやいや、読んでいて楽しいのはやっぱりハーレム物?けど、あえてタイムスリップ系もいいかも……あー、───」  ラノベ好きの高校生に付き合うこと五分。 「スミマセン!僕にはどれか一つを選ぶことなんてできませんでしたっ!!」  ガバッと九十度に腰を折る高校生。 「ふふっ、いいよいいよ。凄く楽しそうで、僕も自分に合ったラノベを選ぶのが楽しみになってきちゃった」  これは結構マジ。  僕にオススメを選ぼうとする高校生の顔は、この十数分顔を合わせた中で、最も生き生きしていた。ならば、そんなに活力を得るものならば、自分で選びたいというのが僕の性。 「ありがとね。もう行ってもいいよ、勉強頑張って」  せっかく付き合ってくれた彼に、なるべく気持ちを込めて応援を送る。 「は、はい!!ありがとうございます!失礼します!」  そう言って去っていった彼を見送り、TST○YAを振り返る。 「思い立ったが吉日…ってね」  そして、僕は人生初のラノベを購入した。  TST○YAを出た頃には日も沈み、外は街のネオンが輝き出していた。しかし、人々はそれらには目もくれず、帰路を急ぐ。  そんな中僕は、TST○YAに寄った後に行きつけのバーに来ていた。 「あらぁ、アキラちゃんいらっしゃぁい!」  アキラとは僕の名前。僕は黒羽 晶。そして、出迎えてくれたのはこのバーのオーナー兼バーテンダーのハナコちゃん。オカマだ。それも、なかなかガタイの良い。 「こんばんわ。また、寄っちゃった」  ここはハナコちゃんが一人で切り盛りする『Bar HANAKo♥』。あの商店街も、苦学生の根城であるアパート達も通りすぎた、オフィスビルが建ち並ぶ一角にある。黒とシルバーとクリスタルを基調としたシックな店内は、どこか危ない大人な雰囲気が漂う。また、照明を絞ることで、客同士のプライバシーを守るという粋な計らい付きだ。  すると、僕が店内に足を踏み入れたと同時に、何人かの男性客がいそいそと会計を済ませ、店を出ようとしていた。 「………ねぇ。そんなに急いでどうしたの?」 「ひっ、あ、いやぁ…何、今日はどうも飲み過ぎちまったんでぃ、そのー、帰ろうかと」 「へぇー、あっそ」  ただ呼び止めただけなのに、怯えたような態度を見せる男達に気分が白け、視線を外す。慌てたように立ち去る音が背後から聞こえ、思わずため息をついた。 「う~ん、アタシはアキラちゃんがお店に来てくれるとすっごく嬉しいんだけど、アナタが来ちゃうといっつもお客さん減っちゃうのよねえ」 「ごめんねハナコちゃん」 「あぁん!いいのよアキラちゃん!!お客様は大事だけど、むさい男の顔を何人も見るより、アキラちゃんのキレイなお顔を見る方が何倍も有意義な時間を送れるわっ!」  僕が人を殺しているのなんて、この辺りじゃ皆知っている。だから、どうしてもこの店に来ると僕の顔を知っている人間は、そそくさと逃げ出すのだ。  別に、そんな奴等に興味なんて湧かないのに。  ハナコちゃんも元は後ろ暗い仕事をしていたんだけど、何かの転機があったようで、気付けばここに店ができていた。足を洗ったとはいえ、情報通なハナコちゃんがいるこの店は、もちろん一般の客も来るけど、陰に潜んで暮らす者達が自然と集まっている。  僕は別に陰に潜んでいるわけじゃないけど、単純にハナコちゃんと話すのが楽しいのと、ここのお酒が一番美味しいって理由でよく訪れるのだ。 「ほらほら座って!あ、今日もカウンターでいいかしら?」 「もちろん。だって僕はハナコちゃんと喋りに来てるからね」 「あぁぁんっっ!もうっ!アキラちゃんったら、どれだけアタシを喜ばせてくれるのぉっ!」  ハナコちゃんと喋るのは凄く楽しい。  彼には、自分を偽る必要も無ければ、気を使う必要も無い。気が楽なんだ。 「あら?その袋はなあに?」 「あぁ、これは来る途中にTST○YAに寄ってね。苦学生の子にオススメしてもらったんだ」 「え??ど、どんな本なの?…はっ!まさか肌色の…?」 「ふふっ、違うよ。ラノベだよ、ラノベ」  そう言って、袋から取り出して見せる。そこには数冊の新書サイズのラノベがあった。 「ふーん、ラノベねぇ…さすがにアタシが若い頃は無かったから読んだことないわぁ。それにほら、アタシ読書家ってわけでもないし」 「うん、僕もラノベって読んだこと無かったんだよ。けど、興味が湧いてね」 「あら、ぜひ教えてほしいわぁ」  こんな風にペラペラとテンポ良く話している最中にも、ハナコちゃんは手を動かしていて、注文されていたのであろうカクテルを三種類と僕の分のカクテルを一つ作ってくれていた。  ふと、目の前に並べられた色とりどりのカクテルに目を奪われる。 「うわぁ、さすがハナコちゃん。手際が良いね。……んー、この青いカクテルはブルームーンかな?ていうことは、カップルが来てるのか。それで、このオレンジ色のカクテルは…バカルディだ。こっちは…x.y.zだね。じゃあ、これを飲む人はこれが最後の一杯って訳か」 「さっすがアキラちゃんだわっ!ぜぇーんぶ、正解よっ!今日のお客さんにピッタリのカクテルが思い浮かんじゃって!!」  このバーは、自分から注文しない限りハナコちゃんが客に合わせてお酒を見繕ってくれる。僕ももちろん毎回オススメだ。  けれど──── 「ねえ、ハナコちゃん。また僕はエル・ディアブロなの?」 「う~ん、どうしてもアキラちゃんってこのイメージがあるのよぉ。作り直した方が良いかしら?」 「いや、このままでいいよ。なんだかんだ言って、ハナコちゃんの作るカクテルの中で、これが一番美味しいからね」 ────僕のカクテルは、いつも決まってコレ。  エル・ディアブロとは名前の通り悪魔の意味。クレームドカシスの血のような色合いや、度数が意外と低く、悪魔に取り憑かれたように何杯も飲んでしまうことが由来のカクテルである。 「ちょっと運んでくるから待っててちょうだい」 「うん」  そう言うと、ハナコちゃんは三種類のカクテルを運んで行ってしまった。  手持ちぶさたになってしまった僕は、ラノベを手に取る。 「ふーん、『突然異世界に飛ばされた件』ね。それで、こっちは『異世界でハーレム作ってみる』か。あとは…」 「お待たせアキラちゃん。あら?それがラノベ…って、そっちの左のはBLじゃない!?」  そう、僕が今手に取っている二冊のうち一冊はBL作品だ。つまり男×男ってこと。 「うん、そうだよ」 「あ、アタシは偏見なんてないけど、アキラちゃんは…」 「僕はそもそもどっちでもいいんだよ」  いわゆる、バイだ。 「そうだったの。あんまり恋愛の話なんてしないから知らなかったわ。んー、そうだ!どんな子が好みとかあるのかしら??」 「んー、好みかぁ。ハナコちゃんは?」 「アタシは断然可愛い男の子よっ」 「それって、やっぱりハナコちゃんが女役するの?」 「あらん、アキラちゃんったらダ、イ、タ、ンっ!なかなか恥じらいもなく聞くのねぇ」  正直、僕の中に恥じらいがあるのかすら疑問だ。恥じらいとか躊躇いとか、そんなものがあったら今頃人殺しなんてしていないだろう。 「けれど残念ハズレっ。アタシは男役よ」 「ふーん…僕は、どっちでも良いかな。興味が湧く人間とならどちらでも。それに、僕は僕の興味を全く惹かない人間とは絶対ヤりたくないしね」 「あぁんっ!さすが、博愛主義者でありながら潔癖症って言われるだけあるわっ!」  確かに僕は博愛主義者なのかもしれない。だって、ハナコちゃんとだってできる自信がある。もちろん、さっきの苦学生や教え子達とも。  けれど、さっきの男達や昨日のサラリーマンとってなったら絶対嫌だけどね。…あぁ、だから潔癖症なのか。 「なるほど、言い得て妙だね。確かに僕はさっきの奴等以外なら誰とでも愛しあえるかも」 「んー…アキラちゃん。アタシ心配よ?今はそういうのに興味がないから手を出してないだけでしょうけど、もし興味が湧いたら誰とでもヤっちゃうの?」  いつも笑顔のハナコちゃんが、眉間に皺を寄せてこれでもかと言うほど厳つい顔で心配してくれる。 「どうかな。それは分からないけど、しばらくは大丈夫だと思うよ。それに、その時はハナコちゃんに是非相談させて」 「もっちろんよぉ!!まかせてちょうだいっ!」  二人で声を上げて笑い合う。  僕は気分が良かった。独り身な僕だけど、心配してくれる人がいることに、少しだけ安心したんだ。
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