祖父ものがたり

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祖父ものがたり

 昭和20年、終戦より少し前、僕の母は病で亡くなった。 当時4歳だった僕は、仏間に横たわる母を見て父に向かい 「(とう)(かあ)まだ寝んねしとるよ~」 と母の頬をヒタヒタと触って、 「(かあ)起きて起きて」 と母をゆすっているところを、父に抱きしめられたという。  父は足が悪くて最後まで兵隊に取られることがなかった。ご近所の手前、思うところが色々あったようだが、 「母さんを見送ることが出来た時に、わしゃ(私は)初めて自分の足の事良かったと思うたよ」 とポツリと言った。  平和な時代の幕開け、家を引き払い家移(やうつ)りをし、新しい事が好きだった父が始めたのは喫茶店だった。この喫茶店で父は僕を男手一つで育ててくれた。    あの頃は商店街がうんと賑わっていたから、毎日たくさんのお客さんが来ていた。商店街にお店を持つ店主達も入れ替わり立ち替わり来て、みんな休憩、休憩と言い訳しながらコーヒーを啜り楽しそうにお喋りしていた。  「いつまで休憩しとるんね!」と奥さんに連れて帰られる人を笑って見送ったり、とにかく賑やかで、憩いの場になっていた。  だけど父は、味を二の次にする事はなかった。  高校進学せずに就職する人が多かった時代にもかかわらず、父は高校に行かせてくれた。高校はこの辺りでは名の通った学校だったし勉強も嫌いではなかったけれど、流石に大学までは甘えられないと、そのままこの喫茶店を継いだ。  大学生になった友達や大学生のお客さんが来ると、少し気遅れした。自由な空気に憧れたんだと今なら分かる。  そんな気持ちも薄れた二十代後半。毎日ここにいて家に帰るだけ。どこにも出会いの場などない。   しかして、突然その出会いが舞い込んだ。  カランカランとドアベルを鳴らして小柄で色白、目がクリクリとした女性が入ってきた。 僕の胸にファンファーレが鳴り響く。  でもヘタレな僕はそのファンファーレをそのままにしてしまい、彼女は誰かのお嫁さんになってしまった・・・  僕以上に商店街の奥様達があからさまに肩を落としていた。聞けば、あきら君に嫁を!とぼちぼち本腰を入れようと立ち上がりかけた時に、現れた天使だと思っていたらしい。  僕の気持ちはバレバレだったと随分後で知るのだが、奥様達はそうとは言わなかったので、ハハハと乾いた笑いを返しておいた。  勇気が出なかった、踏み出せなかった。 彼女と僕の道はどんどん遠ざかるだけだった。  5年が経った頃、未だ独身。お見合い話しは降るようにやってくる。写真を見ても、彼女の面影を探してしまう事に罪悪感を感じ、やんわりと断り続けていた。  カランカランとドアベルがなり、彼女がふいに現れた。右手に可愛い女の子の手を繋いで。  突然の再会に胸の動悸を抑えながら動揺が顔に出てない事を祈り、 「久しぶりじゃね」とお冷やを出した。 「覚えてくれとった?」僕の顔を見上げながら、昔と変わらない可愛い声でふふふっと笑った。 「可愛いね何才?」 ちょこんと座る女の子を見ながら聞くと、 「今4才よ、美津子、みっちゃん」 そう紹介してくれた。 「今日は?里帰り?」 目の前にブレンドと、女の子にはアイスを置きながら、何気なく聞くと、せっちゃんはちょっと俯いてから、顔を上げて眉を八の字にした情けなさそうな顔でふふっと笑った。
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