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ベトナム南部産コーヒー
僕は祖父を祖父と呼ぶ。それは小さい頃からだ。祖父は戸籍上は母の養父、所謂ステップファーザーで血のつながりはない。母は新しくできた養父をそのまま父と呼ぶことにしたそうだ。
僕が生まれた時、母は祖父に孫に何て呼ばせたいか聞いたという。祖父は
「ここまできたら そふ でええんじゃない?」と答えたそうで、以来祖父は「そふ」なのだそうだ。
僕が小5の時両親が離婚、高校1年もあと少しで終わる頃、僕もステップファーザーを迎えた。しかし僕は新しい父に中々、馴染めなかった。悪い人ではないのは分かるのだけど、ゲイの僕を受け入れようともがいてる姿を見るのが辛かった。
僕は早くに自分がゲイであると理解した。母は何でも受け止めてくれる人だと確信していたので、さほど悩むことなくその事を母に伝えた。母は案の定
「わかったわ、お母さんに言ってくれてありがとう、出来るだけサポートするつもり」とさばさばと伝えてくれた。
新しい父にもそれは伝えてあったのだけれど、いざ一緒に暮らし始めると理解する事と受け入れる事の差は大きいようだった。ゲイだからといって特別なにか違う生活様式があるわけではないのになと思う。
母は熱量が恐ろしく低い人で何でも淡々とこなしていたが、僕と新しい父との間の狭いけれどそこそこ深い溝を覗き込み、後悔したという。
「せめて幹ちゃんが大人になるまであと数年待てば良かった、ごめん」
浅はかだったと泣きはらした。
新しい父もおろおろとして、
「僕が不甲斐ないばかりにみっちゃん(母)にも幹ちゃんにも嫌な思いをさせてしまってごめんよ」
こちらもぽろぽろと泣いた。悪い人ではないのだ。いや寧ろいい人だ。
僕は僕のせいで仲の良いこの2人が別れでもしたらどうしようと気が気ではなかった。そんなことされでもしたら罪悪感で押しつぶされる。かといっておどおどし通しの人と暮らしていくのは正直しんどかった。
「ばあちゃんが亡くなって寂しいので幹ちゃん、一緒に住んでくれんか?喫茶店も手伝ってくれたら嬉しいのお」
と祖父が声をかけてくれたのは多分見かねての事だったのだと思う。
僕はその話に飛びつき、すぐに引っ越した。
母も新しい父も僕も祖父に救われた。
喫茶店継ぐから高卒で働くと言うと祖父が
「大学行っときんさい、すぐには役にたたんでもいつか役に立つことがあるかもしれんじゃろ?」
と譲らなかったので結局ここから大学に通い、卒業した。
今は祖父と祖父の喫茶店で一緒に働いている。
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