ベトナム南部産コーヒー

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「嫌じゃ、別れんよ、もうせんけえ別れるとか言わんの」  優しい声で僕を抱き寄せて、ギュッと力を入れて抱きしめてくる。 けれど僕は両手をだらりとしたまま抱き返すことはしなかった。 「なん、どうしたん?まだ怒っとるの?」 冗談めかして言いながら次第に声に焦りが含まれていく。 「幹司(かんじ)がおらんことなったらどうしたらええん?こんなに好きなんよ?嫌じゃ、嘘じゃ言うて、今までみたいに仕方ないねって言うて」   僕の手をとって必死に自分を抱き返させようとさせる。 何度やってもだらりと手が滑り落ちるだけで僕の手がその反応をしないことに焦っている。 その(さま)に胸が痛くなる。この手に力を入れて抱き返したい。 そんな衝動に何度も突き動かされそうになる。けれどそれをしても、また元の木阿弥になることは目に見えている。 「嫌じゃって、ごめんって、な?幹司(かんじ)」 キスをされてもそれもされるがままで、僕の舌はピクリとも動かない。 やがて諦めたかのように淳也が離れていく。 「ほんまにダメなんじゃ・・・・・・どうしよ」 ドサッとソファに座り両手で顔を覆った。 去り際に一言 「幹司(かんじ)、いっぱい傷つけてごめんね、だけど俺ホントにお前が好きだったのだけ忘れんで」 とポツリと言った。  別れ話中ずっと嫌なところだけを必死に思い出していたのに、淳也を今この時だってどうしようもなく好きな事を思い知らされてしまった。 最後までほんまにずるい人じゃ。    部屋を出ていく彼の背中を見送った直後から、カラオケボックスの会計を済ませ、祖父の喫茶店に辿り着くまで頭の中で昔見たアニメの主題歌をエンドレスで歌っていた。馬鹿に陽気な下駄で走り回るお巡りさんのアニメ。    お店には「本日休業」の札がかかっていた。 カランカランとドアベルを鳴らすと同時にその歌はふっつりとやまった。 祖父の顔を見て、もう泣いてもいいんだと思った。
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