祖父ものがたり

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 みっちゃんが生まれるまでは嫁姑間はそこまで悪くなかったらしい。 みっちゃんが生まれた日に姑さんがみっちゃんを一目見て 「息子と似てないわね」とぼそりと言ったという。 それまで、よく頑張ったね、可愛い、ありがとうと言ってくれていた旦那さんが顔をこわばらせたのを良く覚えているとせっちゃんが悲しそうに言った。  病院から家に帰っても、お(しゅうとめ)さんが事あるごとに、 「赤ん坊って顔が変わるっていうけどちっともうちの家系に似てこないわね」 「あなたにも似てない気がするけど・・・」 旦那さんがいる時に限って何でもない風を装ってぼそりと言う事が続いた。  最初は苦笑いしていたはずの旦那さんも不安を煽られたのか、疑心暗鬼となり、本当に似ていないと言い出した。そのうちみっちゃんはよその誰かと浮気をして出来た子だと思い込むようになり、やがてそれは暴力という形で噴出した。    身に覚えが全くないせっちゃんは、違うとしか言いようがなく、殴られている間もただ身を固くするしかなかった。流石に赤ん坊にそれが向かう事はなかったのだけが救いだった。 そのうち分かってくれると思っていたけれど、まったくやむ気配さえない。  堪らず家を飛び出したのが2年前。 「出戻りって陰口言われて恥ずかしかったけど、それを上回る程、美津子と二人殴られる事に怯えなくていい生活は楽しかった。あのまま別れるつもりだったのだけど・・・」 せっちゃんが2年前のことを振り返る。  お姑さんと、旦那さんが迎えに来たと言う。実家に来た時は殊勝に頭を下げていたのでみっちゃんの為を思いやり直すつもりだったという。 しかし帰ってみれば、嫁に逃げられたなんてバレたら外聞が悪い。ただそれだけを気にしていただけの事だった。 「弟の孝治(こうじ)がお嫁さん貰ったでしょ、実家に帰っても迷惑かけちゃうなと思って我慢してたんだけど…お妾さんが家に入って来たの。男の子の赤ちゃん抱いて」 せっちゃんが力なくうなだれた。 「私と美津子は使用人の部屋に追いやられて、美津子は食事も満足に貰えないから私の分をやって・・・おかしいでしょ、何もかも・・・なのに朝から晩まで家の事させられて忙しくて、その上暴力で支配されて感覚が麻痺してたんだと思うの」 「ある晩にね、空を見上げたら明るい月が出てたの、まるで暗い海から見える灯台みたいだった…それを見てたらふと我に返って、跡取りがいるなら別れても、ううん、別れた方が男の子の為にもいいと思ったの」 「だから主人にそう言ってみたの。そしたら何が気に入らなかったのか、もう殴る蹴る。私をかばった美津子にまで手をあげた時にもうだめだと思ったの」  旦那さんはみっちゃんに手を挙げたことに自分でも怯んだ様で 「籍の事はこちらがちゃんと考えている!出過ぎた事言うんじゃない!」 そう吐き捨てて部屋を出て行ったそうだ。 「隙をみて2人で逃げ出してきちゃった」 「ご実家にはまだ連絡してないの?」 せっちゃんが頷く。 「ここで、一息入れてから・・・って思ってて」 「いつも美津子と一緒に思い出してたのよ、喫茶店楽しかったね、美味しかったね、また行こうねって」 「この喫茶店は私達母娘の灯台だったの、暗い暗い海を照らすように暗い暗い気持ちを照らしてくれた、間違わず帰ってこれた」  その言葉を聞いた僕は、この仕事をしていて本当に良かったと心からそう思った。  夜になり、せっちゃんの実家から孝治君が迎えにきた。 せっちゃんを見て 「姉ちゃん…」 と絶句した後、奥歯を食いしばり握りこぶしを固くしていた。 「お世話になりました、お礼はまた」 父はそういいかける孝治君を制して 「そんなんはええ、ええから…何かあったら()うておいで」 そう言うと、孝治君の肩を二度ぽんぽんと叩いた。  孝治君がみっちゃんをおぶって、三人は暗い夜道を帰っていった。  
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