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1.独語
――トランプのスペードのエースばっかりデザインが凝っているのはね、昔トランプは高級品で税金をかけられていたのが理由なんだよ。酒税やタバコ税みたいにトランプ税があったんだって、面白いね。最初は税金を支払った証拠に判子を押してたって、それが、スペードのエースだけは国が作るように変わったって。だから偽造を防ぐためにデザインが複雑になったんだよ。ええ? うちの親戚で偽札被害に遭った人がいるの? そうそう、いちいち透かしなんか確認しないよね、失礼だし。ははは、ってことは偽札作りに肝心は紙の質だね、そこさえ怪しまれなければなんとかなりそう。やだな、しないよ。
「たっくん。また、出てるよ」
「うん。母さん」
うっかり、部屋のドアを閉め忘れた。母さんが心配そうでもない顔で覗いて言う。
「せめて、声出さない練習をしましょうって、先生も仰ったでしょう?」
「うん。ごめんなさい」
「謝らなくて、いいんだけど。トランプのお話し、直接聞かせてよ、おやつ、食べましょう」
「はい」
僕の病気は『独語症』と名付けられた。なかった名前をもらって喜んだのか、診察帰りの僕の独り言は独語然と、前途洋洋な光彩を空気に発するほど、とめどもなかった。
さっきまで観ていたテレビのタレント、聞いていたラジオのアナウンサー、プロ野球選手、明日会うクラスメイト、明日会わない誰か、先生、これから会うかもしれない人、昨日会えたかもしれない人、母さん、お婆ちゃん。死んだ父さん。
僕の頭の中には声がする。その声があるから、返事をしているだけ。ただ、それだけ、僕の独り言は全て、余すことなく、秋刀魚のハラワタほども余すことなく、返事、だったのに。
――独語症って、先生、僕のこれは返事なんです。頭でする声の、返事なんです。独語ではないんです。相手が先にいて、僕は後に立っているんです。
いや、吉崎拓海君、君のその頭の声は、君が生み出したものだ。君は自分で自分と話しているんだよ。その意識をまずは強く持とう。君が一人でいるとき、君の頭の中には、誰もいないんだ。声も、ないんだよ。もしあるなら、それは、君、自身だ。
――僕自身? そうですか、先生。先生は、僕のいないところで僕に語り掛けることは絶対にありませんか? どうですか。
中学一年で病院に連れていかれた。それまでは、少々独り言の多い変わったやつでいさせてもらえたのに、これからはそうもいかなくなりそうだと、一番の味方であるはずの母さんに思わされたことは、僕にとって安心な世界の崩壊を意味するほどに、苦しい出来事だったんだけど。
診察が行われ、病名がつけられ、これからの対応が語られ、先生と母さんの間に安心が往来する度、僕もまた安心していったのだから、困ったものだ。変なやつは、嫌だものね。
「声を抑えることはできる? せめて、唇を動かさないことは?」
僕はもう中学一年です。
できます。
独語症という病気は、一人で発症させましょう。
一人、部屋で、シャワーの大量滴に紛らせて、トイレで終わらないかもしれないおしっこを不安がってる遊びの途中に、寝るときに、自転車で人通りの少ない道をわざわざ選んで。
できます。声を出さない、唇を動かさない。
頭の中で。
――電気の説明書に豆球の灯りをみつめるなって、書いてあったから、ほら、ポインターが社会現象になったでしょう。ガチャガチャの。何が好きだったって? 腕に巻き付ける形状記憶ベルトみたいな、そうそう、百円入れて、変なキーホルダーが出て友達に笑われました。
――座布団十枚おめでとうございます。賞品には期待してない? そんな本音をお客に聞かせたら、ダメじゃないですか。
――母さん、このハンガーは嫌いだって言ったろ? いつになったら覚えてくれるんだよ。だって、その絵は失敗したんだ。幼稚園で作ったハンガーなんか、実用しなくていいんだよ。押し入れに仕舞ってよ。
一人の部屋で、シャワーの滴に、自転車の切る風に、僕の独語は声になった。人前で、声にしない。病気をみせない。できます。
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