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2.ケアハウス
「うん。マンドリンの演奏会? うん。行きます」
小学校の通学路にあるケアハウスに、お婆ちゃんがいる。どうしてうちで一緒に暮らさないの? その質問は独語症にも登場しない。うちの母さんは訊かれたくないことを訊かれると鬼になったから、鬼との遭遇は厄介ごととして、本能が遠ざける。
ケアハウスの食堂に簡易のステージが作られて月に二回、軽い催しがある。手品やけん玉名人、落語会、謎のおじさんコーラス隊。もっと変な、奇岩収集家の自慢漫談。
面白そうなのがあると、お婆ちゃんが電話で誘ってくれた。
――マンドリンなら僕も弾いたことあるんだ。うちの中学にはギター・マンドリン部があるんだから。ギターより二本弦が多いんだよ。
「あら、たっくん、おいでまし」
「おいでましたよ、お婆ちゃん、顔色いいね」
「この頃体調いいのよ」
「良かった」
ケアハウスの食堂にお爺さんとお婆さんが集まって、人の数が僕の目に個性の点々となる。
浴衣みたいな薄着、寝巻のままの人、きちんとした今から高級ブティックにでも行けそうな格好の人、もうすっかり、何もみえないのだから、何にもみられないように、ぼんやりしてる人。うちのお婆ちゃんはロングスカートに秋っぽいセーターを着て、首にはスカーフまで巻いている。さすが、要介護組とは一線を画すんだからと、常々胸を張っているだけのことはある。
食堂のテラス側の窓は開けられて、レースのカーテンが風になびいていた。奥のテレビモニターが設置されたあたりに、ステージ代わりの畳が何枚か敷かれている。
「もうちょっとステージっぽいのにすればいいのに、畳って」
僕がいつもの光景に呟くと、お爺さんの声が被さってくる。
「みかん箱よりマシだろう、やくざもんに蹴っ飛ばされることもないしな」
僕とお婆ちゃんが隣に並んでついた席の向かいで、どんぐりみたいな帽子を被ったお爺さんがそう言った。ループタイのリングがでっかいボルトで作られたロボットになっている。
返事をしようか、迷っていると。
「これ、うちの孫息子、拓海っていうんです、中学一年生」
お婆ちゃんが紹介してくれたので、僕は一応立ちあがって挨拶をする。
「こんにちは」
そのお爺さんは、ああ、とだけ言って、何か手元のノートに書き込んでいる。僕は覗きこむことはしないで、座った。
「ほら、たっくん、今日のお菓子は芋巾着と栗の渋皮煮よ、うちの職員さん凝ってるから、嬉しいね」
「うん」
マンドリンの演奏が始まる。聴いたことのある唱歌や、多分、古い映画のテーマ曲とかが、ケアハウスの食堂に集まった僕らを音の繭に包み込んでいく。
寝ているお爺ちゃんもお婆ちゃんも見当たらなくて、我慢をするけど、僕は眠たかった。つまんだ栗の渋皮煮は、歯と舌にぬっとりとしとやかで、世界一美味しいと思った。
――もう四十度じゃ寒いね。マンドリンはまぁまぁだったよ。それより、あのどんぐりお爺さんは何者なんだろう。ループタイのリングがカッコよかったな、栗のお菓子はうっとりしちゃった。
今度は懐かしの紙芝居屋さんが来るんだって。え? 行こうと思っているよ。
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