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4.伏せ字と独語
――独語症って病気なんです。一人でもずっとずっと話しちゃうんです。本当は話っていうか、返事、なんですけどね。
治そうって方向性です。せめて人前では我慢しましょう、声に出すのはやめましょう。実際に人と話しましょう。
薬はまだ処方されていません。母さんが断ったみたいです。独語を止める薬はきっと咳止めの姉妹品だって、僕は思うんです。冗談ですよ。
僕は伏せ爺さんに返事をする。実際に、話してみましょう。か。と、僕は伏せ爺さんの次回お題をノートにバツを埋める言葉を探しながら、ぼんやりと椅子を漕ぎ漕ぎ、思った。
川柳の×で伏せられた字は、言葉を呼んだ。隠された部分がより、未開封のプレゼントのように心の弾みをくれた。僕の独語と似ている気がした。
「独語症って病気なんです」
一度うちにおいでな、と、ハウスの個室に招かれて、僕は特殊な工具の説明をしてもらったり、若いころの写真なんかをみせてもらいつつ、伏せ爺さんに話した。
「いもしない人と頭の中や、実際声に出して話し込んじゃうんです。独り言のもっと強烈なやつ。変に思われるからって、やめようとしても、やめられないんです。母さんは困ってる、病院にも通っているんです」
ふーん。
伏せ爺さんはいつも通りのどんぐり帽子、ループタイのリングはロボットで、目を大きく開くと、時間が制止したような間を空けて、言った。
「そんなのがいてもいい、人間なんて色んな病気にかかるもんさ。ここにいると病気にえらく詳しくなっちまう。両手両足の指折っても、僅かに生えてくる髪の毛の本数でも足りやしない」
「いてもいい、ですか」
「人間なんて、おかしなもんさ。自分とそうでないものの区別がクッキリしてないと不安がる癖に、体面ではその逆を言うこともある。だーれも本当はホントのとこ、なんにもわかりやしないんだ。わかったふりばっかり上手いだけで。いいんだ、拓海。いっぱいいっぱい独り言言えばいい。言いたいんだから、言えばいい。それでいい。世界はでっかい、色んなもんが生きている。砂漠には足の火傷を回避するために交互に足を浮かせるトカゲがいる。そんなトカゲのこと誰も気にしない」
伏せ爺さんは、部屋の畳に這いつくばって、手と足を浮かせてみせた。僕は横で、真似をした。
――話したくて話したのは、今回が初めてでした。先生にも母さんにも話したけど、それは話さなければいけなかったからで、僕に返ってくる結果のためで。でも、伏せ爺さんからは返ってきませんね。
返そうと、しませんね。受け取って、受け流す。体を通して、大きな大きなどっかへ、返すように、帰らせるみたいに。あああ。
伏せ爺さん、賞品のロボット、とっても良くできています。鞄に着けて行ったら、学校で一日だけ人気者になりました。
夜、ベッドに仰向けに寝て、伏せ爺さんに返事をする。独語まで、伏せ爺さんの体に空いた穴に吸い込まれるように、いつもとは違う消え方をした。
いつまでも、伏せ字の川柳を埋めて、賞品のロボットを増やして、たまに本当の話をして、このまま少しずつ僕はいられると思っていた。
知らない名前の手紙を受け取るまで。
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