5.伏せ字のない手紙

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5.伏せ字のない手紙

――ハウスにいる人たちは、みんなお爺さんとお婆さんで、中には介助がないとなんにもできない人もいるし、月二回の催しにも無反応の瞳を貫通させる人もいる、僕は、あの人たちの目をみることが怖かったよ。吸い込まれて消えそうでさ。  うちのお婆ちゃんや、伏せ爺さん。伏せ字川柳の穴埋めに燃えるライバルさんたちは、みんなまだまだ元気だと思っていたのに。  突然すぎて、驚きました。お婆ちゃんに電話で聞いた伏せ爺さんの年齢にもっとびっくりしました。八十八歳。平均寿命は覚えていないけど、きっと超えているんじゃないですか、だとしたら、生きているのが不思議なぐらいの年齢ですよね。  死因は心不全って、苦しんだんでしょうか。どうですか、死ぬってどうなるんですか? 幽霊にはならないでしょう、完全な暗闇、無、ですか、それとも天国でロボット作っていますか。 「たっくん宛てよ」 「手紙?」  もうすぐ春休みで、クラス替えにドキドキしていた三月のこと。まだ片付けられないこたつの中で、僕は母さんから手紙を受け取った。  片岡義三? 名前に見覚えがなかったけれど、切手が鉄人だったから、あ、と思った。  リビングのこたつを出て、自分の部屋に行く。封を開けると、便箋が二枚、整った字で文章が並んでいた。 「私が死んだらこの手紙を投函するように頼んでおいた」  冒頭がこの文章で、僕は、死んだら、という言葉を数十回復唱した。それでも伏せ爺さんのどんぐり帽子がケアハウスに今、被られていないなんて、信じられずに。 「拓海は病気の話をしてくれた。でも私は自分の病気の話をしてやれなかった。心臓のことは考えたくなかったんだ。ずっと目をそむけてた。忘れていたかった。自分の病気と正面で向き合ってる拓海の方が強くて男らしい」  手紙の文字列が伏せ爺さんの声になっていく。 「治せるならそれもいい、治せないなら、それでもいい。どうあっても、人間は人間だ。どうでも、生きていける」  手紙の中に、僕は伏せ字を探した。きっと、あると思った。  答えのない伏せ字が、僕をずっと守ってくれる気がして、探した。  だけど、なかった。伏せ爺さんの×印は手紙の裏にも封筒の中にも、なかった。 ――伏せ爺さん、死んじゃった。 「伏せ字川柳会に参加してくれて嬉しかった。若い発想は卵みたいであっためてやりたくなったよ。孵化させれば恐竜が生まれるか、でっかい鳥になるか、楽しみでな」 ――ロボット、三個。嬉しかったです。 「褒めて貰えて嬉しかった、手仕事ってのはいいもんだぞ。最後は人間、手のぬくもりには敵わないんだ」 ――でも、金属だから、冬場はとっても冷たいですよ。そういう意味じゃないって、冗談ですよ。 「お婆ちゃんを大事に、会いに来てくれるだけで嬉しいもんさ。それじゃあ、健やかに 伏せ爺」 ――来週は大道芸の人が来るんです。ジャグリングを教わればいいって、お婆ちゃんは言います。一芸あると身を助けるんだそうです。  僕は布団を被って返事をし続けた。 ――川柳って面白いですね、新聞の川柳欄を毎日読むようになりました。言葉を知りたくて小説も読んでるんです。図書室で伏せ爺さんお薦めの江戸川乱歩借りました。人間椅子の話は気味悪かったけど、職人さんが主役だから、好きなんでしょう? 手仕事、ですもんね。  病気の方はぼちぼちです。今も一人の時はずっと喋っています。声も出ます。でも、人前では我慢しますよ。  伏せ爺さんはブラックホールのような人ですね。僕の言葉を吸い取って、返すこともなく、大きなところに散らしてくれる。  爺さんだから器だけはでっかく空っぽさって、いい言葉です。自分でいっぱいのコップには人は溺れてしまいますね。  僕はずっとずっと返事をしていた。寝ることもなく、窓が明るくなるまでずっと。 ――夢はまだわかりません。自分が何になりたいか、何になれるか、なんにもわかりません。わかるときが来たら、きっと教えます。  川柳作家? 食べていけるんですか? 人口が少ないから人気者になれれば独占企業? プロ野球選手より難しそう。  どんぐりみたいな帽子だなって思ってました。あ、自分でもそう思いますか。賞品のロボットはどれも可愛いですけど、僕は伏せ爺さんのループタイのが一番好きなんです。  朝が来て、僕はモソモソと制服に着替えた。学校に行かないといけない。 ――ありがとう、ございました。  最後の独語が、いない伏せ爺さんに吸い込まれて、僕は、その瞬間以降、一人で話すことをしなくなった。 
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