恋文とトロッコ

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恋文とトロッコ

「……既に暴風域に入り、各地で被害が相次いでいます」 画面には水没した家や流されて行くワゴン車が映し出されている。地獄絵図が切り替わる度に絶叫や悲嘆が部屋を満たす。  やがてそれらは、逃れようのない災厄に身を寄せ合って怯える避難民や、蟷螂の斧を揮うが如く戸板を打ち付ける人々に変わった。 超大型で比類なき勢力を持つ台風は迷走の末にようやく運命の末路を定めた。 「まもなくこちらに上陸する予定です。ご覧いただけますでしょうか」 レポーターの背後にカメラが寄った。普段は静かなせせらぎが氾濫危険水域を超えている。 だから、何だというのだ。歴史規模ではありふれた日常だ。むしろ生殺与奪権を握る神には殺風景と映るだろう。 放っておいても人は死ぬ。間近に迫る天災地変も病気も生命の終焉という艱難にはかなわない。 それが宿命であれば諦めもつくが、運命であるとしたらどうだろうか。自分の物語を大きく動かす人類存亡のキーマンが担っているとしたら、耐えられまい。 不幸の生中継から突きつけられた課題に意識を集中するとしよう。災厄から切り離された船窓に寄り、青い地球と向き合った。 机の上には三通の手紙がある。 まずは国連事務総長宛。白紙委任状受諾の可否を問うている。 次に神々からの督促状。有史以来、人類が託した有象無象ありとあらゆる願い事の対価が総額で示されている。その具体的な額は言うまでもないだろう。 催告文は厳しい口調で切々たる窮状を訴えていた。 自分たちは造物主でも守護神でもなく、支配階級でもない。あずかり知らぬ所で芽生えた生命体に存在を感知され、縋りつかれた被害者である。 超光速航行文明をとうに卒業して、精神世界に暮らしていた。その安寧を未熟な種族に脅かされているのだ。大宇宙の真理は奥深く、知的生命体が束になっても解き明かせない。 むしろ、自分たちは列強がひしめく宇宙において芥子粒にも満たぬ存在である。それにもかかわらず地球人類は過剰な願望を宇宙に投影した。 他力本願に撃ち抜かれた自分たちは当惑し、人類の存在に恐れおののいた。それでも義侠心から人間の願いとやらを細々とかなえていた。 精神力をわずかに費やすだけで容易に滅ぼせる相手に対し、優しく接した理由がある。さっさと物質文明を脱して、高みに登ってほしかった、と言うのだ。 数百万年の人類史を俯瞰できる彼らであるが、それでも人類の業は重すぎた。祈りと言う形で絶え間なく投げつけられる刃は精神生命体を確実に蝕んでいた。 ◇ ◇ 「それで私に何をしろと言うのです。何が出来るというのです?」 箱舟(ラルシュ)の機長に急遽抜擢された理由を長官は他人事のように言い放った。 「君が果報者だからだよ。人類の瀬戸際を安全な場所から眺め、その運命について冷静かつ的確な決断を下す。いわば、君が神になれるのだ」 ぶん殴ってやろうかと思った。確かに私は幸運かも知れない。俗にいう選ばれし者だからだ。だが、こういう形でデビューしたくなかった。 ラルシュ計画は持続可能な社会構築に失敗した保険として秘密裏かつ慎重に進められてきた。人類の存続がいよいよ危うくなった時のいわゆるプランBとして準備された。 詳細については秒単位の工程まで遺伝子に刻まれている。 特注胎児(デザインベビー)として生まれた私はその存在理由を自尊心と奉仕精神に支えられてきた。喝采を浴びて颯爽と発射台に向かう理想像をくじける度に教育AIが再生した。 「晴れ舞台で茶番を演じる事が?道化の間違いでしょう」 食ってかかる私に長官は釘を刺した 「俺が憎いか?世界はお前の敵か?……ならば、鉄槌を下せ」 ◇ ◇ 便箋の上を大勢の顔が駆け巡る。住む場所、肌の色、容貌、衣装、多種多様だが、表情は一つ。 ”そのかけがえのない笑顔の裏で神々はあなた方の辛苦を背負ってきたのです” 理不尽と不条理と憤懣と罪悪感が私を苦しめる。おお、神よ。ならばなぜ私に生を与えたもうたのか。 裁きを受け、たった一度の裁きを下すために使い捨てられる命にどんな価値があるというのか。クズか、高貴か。 いずれにせよ、人々が願い望んだ幸福の総額が可視化され、代償を何十億もの命で決済する。 その愚行ともいえる裁量を試験管の中で作られし肉塊ごときが担っている。ナンセンス極まりない。 いったい、命の値段とは何なのだ。 鋭い電子音が葛藤に切り込んだ。 青い地球に現在時刻がオーバーラップしている。 あと十分。泣いてもわめいても、あと六百秒足らずでその惑星は歴史を終える。 頼みもしないのに船窓にウインドウが積み重なる。私の故郷を取り巻く状況は刻一刻と深刻化しているようだ。 堤防が決壊し、幼子を抱いた母親が濁流にのまれる。避難所がみるみるうちに床上浸水し、貨物車が道路を転がっていく。 どうせ死ぬのなら、十分後だろうが今だろうが大差ない。苦しむ時間は短い方がいいに決まっている。 何度もかぶりを振るが、邪悪な考えが拭えない。だが、私に与えられた役目は悪魔ではない。 地球を代表する神として、人類が存続す前提で交渉に臨む必要がある。 ラルシュが軌道に乗るまで複雑怪奇な経緯があった。 権謀術数、裏切り行為、隠蔽工作、各国の思惑が渦巻いて世界は最終戦争の瀬戸際に立たされたものの、まだ一線を越えてない。 踏みとどまれた理由は神々の示した条件だ。 人類が希求した願望の対価を支払えというのだ。応能負担せよという事は処罰や処分ではなく対等の立場を認めたことに他ならない。 勝ち目はある。 そこで喧々諤々の末、ラルシュのパイロット候補である私に命運が委ねられたというわけだ。 文書による意思疎通。何とも奇妙なやり取りだ。だが「神々」にしてみれば人間の伝統に即した方法で、何ら不都合はないという。 確かに言われてれば、呪文、祝詞、読経、宗教儀式には文書がつきまとう。 さて、どうしたものか。 私はペンを握りなおした。 残り七分弱。地球を差し出せという支払条件を猶予する、もしくは代替する方法をどうにか編み出し、請求者を納得させねばならない。 秒針は容赦なく進む。あと五分。書き出しすら浮かばない。 泣いても笑ってもこの手紙は神々に「回収」され、直ちに結果が行使される。 すなわち、神々の死か、地球の滅亡か。 「神々」にとってこの惑星を瞬殺するなど造作もない事だ。しかし、それを行えば過去(いにしえ)に置いてきた蛮行を繰り返す事になる。 それは彼ら自身の否定に等しい。 端的に言えば、自殺行為だ。 自殺……まてよ、その手があったか。 タイムリミットを告げるアラームが鳴った。 気が付けば残り十秒。 私は渾身の力を振り絞って、ペンを揮った。 ◇ ◇ 「トロッコとは何か?」 分針が1つ進む頃、サイドテーブルに新しい手紙が届いた。 私の提案に神々が興味を示したのだ。 船窓が色めき立っている。人類は首の皮一枚で救われた。安堵と祝福がライブ映像からあふれ出る。気の早いメディアは各地のお祭り騒ぎを中継している。 興奮が失望に変わらぬうちに、私は返信を書きなぐる。 ◇ ◇ ぞれから一か月後。ラルシュはまだ見ぬ人類の夢を先取りしていた。 標準時系列21AA8E。私は生まれた時代からおおよそ二百年後の宇宙に放り込まれた。人類が存続していればたどり着く可能性の未来。 その時間線において交通網は白鳥座にまで達していた。 神々の計らいによってラルシュは恒星間貨物船に作り替えられた。植民星へ救難物資を運搬中である。 順調にいけば三日後には惑星ロシュの首都病院に新型ワクチンを届ける事が出来る。 被災地では彗星の衝突によってもたらされた疫病が猛威を振るっており、既に死者は四億人に及び、患者は日に千万人単位で増えている。 気の遠くなるような道のりだった。ラルシュ船長としての「私」には数十年に及ぶ経験が付与されている。 想定外のシステムトラブルや反ロシュ陣営の妨害のおかげでスケジュールに余裕はない。 私は不安神経症と戦いながら船体の総点検を終えた。操縦席で珈琲を啜っていると不協和音が鳴り響いた。 見上げる天井にでかでかとエラーメッセージが表示されている。 「おいでなすったか!」 私は待ってましたとばかりに貨物室へ駆け込んだ。案の定、船体重量が増えている。 「おや、百キロほど積載量が増えているぞ」 聞こえるように言うと、コンテナの陰から若い女が飛び出した。 「わたし、そんなに太ってない」 ぴったりとしたワークスーツがグラマラスな肢体を覆っている。 「神々の造形美って、この程度なのか」 挑発するように言うと、女は顔を赤らめた。 「うっさわね! 貴方の手の内は判ってるのよ」 ふくれっ面がますますかわいい。 「予定されていた出会いだからな。ようこそ、密航者ちゃん」 「ライラよ。貴方の気まぐれで生を受けた。殺すならさっさと殺して」 女は腹いせにコンテナを蹴った。 「まぁ、そう怒りなさんな。選択次第で君は生き延びる」 私がなだめようとするとライラは顔をそむけた。 「気休めはやめて、さっさと殺しな。わたしは無意味な人生を1秒たりとも過ごしたくないの。ていうか、呼吸するだけで苦痛」 彼女が憤るのも無理はない。自分とは関係ない時間軸から来た男に人生を握られてるのだ。 「まやかしじゃないさ。君は名うての遺伝子編集者だ。突然変異を繰り返すロシュ熱ウイルスを鎮圧できる」 「フン」 ライラは鼻で笑った。「百貫デブのおんなが運航スケジュールを狂わせるんでしょ。燃料はギリギリ。到着予定が十日は遅れる」 「その通り。ここで君を放り出せば何とかワクチンは間に合う。ただし、新型には対処できない」 「トロッコ問題ね……。くっだらない。何百年も前の問答に前途ある女を冥土から引っ張り出す」 きつい目で穴が開くほど私を睨みつける。よしてくれないか。私も似たような出自だ。 「わたし……普通の女の子に生まれて、普通に恋をして、普通に……」 泣き出してしまった。 「目先の十億人か、ロシュの未来を選ぶか……」 私はそっとライラを抱き寄せた。 「やめてよ! 殺人鬼!!」 急所に不意打ちを食らい、私はのたうち回る羽目になった。 虚空を睨み、見守っているであろう神々に向かって叫ぶ。 「わかったか。これが最終回答(ファイナルアンサー)だ」 その瞬間、世界が暗転した。 …… ◇ ◇  追伸。 その後、世はなべて事も無し。ライラと私はよろしくやっている。もっとも、彼女の尻に敷かれっぱなしだが。 ラルシュは予定より十日遅れて被災地に到着した。その間に手をこまねいていたわけじゃない。 彼女はロシュの医療関係者を通信教育して腕利きの遺伝子編集者に仕立て上げた。鬼の形相で生徒を叱咤激励する様は一途で可愛い。 そして、神々は「トロッコ問題を解決せよ」という命題を受け止め、理解を示した。 人類と精神生命体は相争うことなく解決策を見出したのだ。矛盾の解決に対価は必要だが、犠牲を払う事もない。 私は21世紀にライラを連れて戻り、そこで祝福された。 苦しんでいるのは自分だけではない。世界はお互いの頑張りに支えられている。 「あなたねぇ! フードレプリケーターの分解掃除をやっといてっていったでしょ!」 妻の怒号が船窓を震わせている。食品合成機のメンテナンスは厄介で苦行だ。デリケートで複雑怪奇。心身ともに消耗する。 しかし、飯を食わねば生きてはゆけぬ。本日のトロッコ問題に向き合うとしよう。 
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