Rocker at Locker

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Rocker at Locker

「今日も全然人来なかったなあ……」  茜は赤いギターをケースにしまった。ビラを貼っていたホワイトボードとマイクもキャンバス地のトートに片付ける。ギターの弦に手が当たり、シャランと場違いに明るい音を立てた。地面に置いたカンカン帽を拾って傾けるが、数枚の銅貨しか入っていなかった。  思わずため息が出た。駅前で弾き語りとか、流行らないのはわかっているけれど。  ギターケースを背負い、重い鞄を肩にかけて帽子を頭に乗せる。そうしてやっと前を向くと、スーツに皺の寄ったサラリーマンが目に入った。感情が抜け落ちたような顔をしている。そんな人が何人もいた。  私もああなるのだろうか。サラリーマンとして輝くには、それなりの時間と力が必要だ。茜にはそれがない。でも働かなくてはいけないから働く。そんなことができるのだろうか。  社会人になったらしたいことなんて、何にもない。 「いい加減にしなさい。二〇も超えて夢ばかり見て」  母親のキンキンした声が蘇る。 情けない、育て方間違えたかしら、お母さんずっと面倒見てられませんからね。  泣き脅し、八つ当たり、恨み節の混じった散々な怒声だった。私を育てたのはアンタだろうと言いたかったけど言えなかった。抵抗に値する結果も何も見せられない。言い返せなかった言葉が、生傷のようにじくじくと胸の奥で疼いて膿んでいく。 「やめようかな……」  口に出してすぐ後悔した。  やめる。諦める。  ずっと考えないようにしてきたことが、急速に現実味を帯びる。  頭を振って思考をふるい落とす。そのまま歩き始めた。階段を登って、駅の改札前を目指す。足が重い。  本当はもう一歩も動きたくない。工場の一日バイト後の弾き語りは、自分でもなかなか無理をしたと思っている。  朦朧とした頭で歩いていると、コインロッカーが目に入った。昨日飲みに行った友人がしていた噂を思い出す。  JR長岡駅西口改札前のコインロッカー17番は、開けた人に必要なものが入っているらしい。 「あほらし……」  そう言いながらロッカーと後ろに手を突っ込んでみる。そこに鍵があるらしい。埃まみれで、手を入れるのに随分と覚悟がいる場所だった。冷静な自分が、全く頭がトんでいると肩を竦めて首を振る。だが、予想に反して冷たい金属に手が当たった。指に引っ掛けて明るい場所まで持ってくる。赤いプラスティックプレートに、17番と書いてある。 「……決めた」  噂が本当ならこのまま続ける。嘘ならやめる。  今必要なものなら山ほどある。ティッシュだってどこかの割引券だって構わない。できれば優待券だと嬉しいくらいのものだ。  祈るように鍵を差し込み、回す。カチャン、と小気味良い金属音がする。把手を引くと、簡単に開いた。 「マーカー……?」  新品の黒だった。極細タイプ。一本寂しく転がっている。  思わず隣のロッカーに手をついた。唇を噛む。肩が震えた。マーカーなんて、昨日買ったばかりなのに。もっと言うなら今だって持ってる。他の荷物に埋もれて下の方に入っている。 「何やってんだろ……」  頭がロッカーにぶつかって、安っぽい音を立てた。自分で決めたことなのに、馬鹿らしいほど泣きそうになる。 「あ、あの」  顔を上げると、女の子と目があった。  パチパチと瞬きする度まつげが揺れる。同い年くらいだろうか。子花柄のロングスカートに、ブラウスを着ている。染めた茶色い髪が優雅に巻かれていた。どこかで見たことがあるような格好が、妙にキラキラして見えた。  きっと仕事から飲み会に行って、その帰りなんだろう。会社でも先輩に可愛がられていて、きっと彼氏とかもいて。悩んだら友達とか家族に愚痴ったり、慰めてもらったりするんだ。  なんだそれ。ずるいって。 「?」 「あ、す、すいません」  見過ぎていたことに気づき、慌てて目をそらす。馬鹿じゃないのか。自分が選んだことなのに。そう言い聞かせても胸のモヤモヤは消えない。 「すいません、人違いだったら申し訳ないんですが……」 「はい」  女の子は何か言いにくそうに口を開いた。茜は一刻も早くその場から立ち去りたかった。 「氷川茜さんですか? ……この前、ライブで歌ってましたよね、『PLANET』の前に」 「え? あ、ああ……まあ、はい」  PLANETは高校の先輩のバンドだった。その縁で、前座に一曲やるお役目を仰せつかったのだった。アコースティックギターのしんみりした音は、そのあとのエレキギターの派手な音が全て吹き飛ばした。自分で言うのもなんだが、良い引き立て役になったと思う。 「PLANETのファンの方なんですか? 私もーー」 「あ、あなたの曲、すごく好きでした!」  へらりと笑顔で笑いかけた茜は、表情を失って固まった。肩にかけた鞄がずり落ちる。 「え……」 「氷川さんの曲、帰ってネットとかで検索して、他のも聞いてたんです。今日弾き語りやるって告知があったから来てみたんですけど遅くなっちゃって、でもまさか本人と会えるなんて……あ、そ、そうそれでですね」  茜は呆然としていた。その女の子の様子は、茜が他のアーティストに対する時そのものだった。慌てて何か話そうとするけどうまくまとまらなくて、本当に話したかったことが迷子になってしまう感じの。  女の子は鞄を漁るようにして手帳を取り出すと、震える手で茜に差し出した。 「サ、サインお願いしてもいいですか……!」 「!」  あーでもペンない、どうしよう、と女の子が焦る声が聞こえる。茜の右手には黒いマーカー極細タイプ。ああ、神様。 「大丈夫、あります」  マッキーの蓋を開けて、手帳を受け取る。手が震えた。視界が滲んだ。 「ありがとうございます……」  頭を深く下げながら、手帳を返す。これではどっちがファンなのかわからない。でも、それでもいい。他のこと全部、どうでもいい。  やっと届いたんだから。 fin.
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